047 ジャックナイフ
忍足侑士はナイフを持ち歩いている。
刃渡が十五センチ以上ある折りたたみ式ナイフで、折りたたみ式というのは柔であると言われているが、
このナイフは例外でとても丈夫なナイフだ。今の法律だと銃刀法違反になるとかで持ち歩いているのが見つかれば、
罰金や懲役になってしまう。前に調べたことがあるのだが今では刃渡が六センチ以下の刃物を持ち歩いているだけで
見つかれば違反になり、かと言って六センチ以下の刃物を持ち歩いていても、軽犯罪法によっては、
”どんなものであっても人を傷つける目的で持っていたりすれば犯罪”であるらしい。
「びっくりしたぜ。持ち物検査なんてよ」
「盗られるようなものを持って来る方が悪いんだろうが」
氷帝学園男子テニス部、正レギュラーのロッカールームで向日岳人が朝の持ち物検査について話していた。
椅子に座り王様のようにしていたのは部長である跡部景吾である。向こうでは樺地崇弘が紅茶を入れていた。
「クラスだとジョジョの奇妙な物語全巻、持ってきたのを取られた人がいたよ」
「……全巻持ち歩くって重すぎるだろ」
芥川慈郎がクラスで起きたことを言う。全クラスで突発的な持ち物検査があり、漫画や雑誌が取られていく中で、
クラスメイトの一人がジョジョの奇妙な冒険を全巻持ってきて没収されたらしい。没収される先生も持って行くのが
大変だっただろう。宍戸亮が嘆息している。
コミックス一冊ぐらいならまだ解るのだが全巻だ。文庫サイズならカサは減るが、コミックスだと五十冊以上はある。
「侑士は物、取られなかったのか?」
「俺は取られるようなもん。持ってきとらん」
(侑ちゃん……自信満々に言い過ぎ!)
向日に言われた忍足だが自分は持ってきてないと返す。感心している向日だったがジロー辺りは疑惑の視線を向けていた。
ごく一部の者ではあるが忍足がナイフを持ち歩いているのは知れ渡っている話だからだ。
忍足は自分のロッカーの前に行くと鍵を外す。正レギュラーのロッカーは全部にカギが着いていた。
番号を入れて外すと手を伸ばして入れていたものをポケットに入れる。
「ウス」
「お前の入れた紅茶は美味いぜ……樺地」
樺地が入れた紅茶を跡部の前に出す。いい匂いがロッカールームに漂う。
「皆さんの分も……入れました……」
「じゃあ飲ませて貰うか」
樺地は気を使って他のレギュラーの紅茶も入れてくれたらしい。忍足がテーブルの方に行く。
「菓子はないのか?」
「樺地のお茶だー」
「種類は知らないが美味しいよな」
向日、ジロー、宍戸も紅茶を飲むために椅子に座る。練習前の腹ごしらえとなっていた。
氷帝学園のテニスコートというのは設備が非常に整っているため、夜間の練習も容易に出来る。
忍足は目一杯練習してから帰った。忍足は帰宅するために電車を使っていた。
「侑ちゃん。途中まで一緒に帰ろう」
ジローが誘いをかけてきた。忍足は承諾する。他のレギュラーは先に帰ってしまっていた。氷帝から見ると忍足の家の方が遠い。
「疲れたな……」
「いっぱい練習してたもんね……ナイフ。ロッカーの中に入れてたの?」
「朝練の時にどうも何かありそうな予感がしてな……」
ジローは忍足がナイフを持っていることを知っていた。
忍足はポケットから折りたたみ式のナイフを出す。ロッカーにナイフを入れていたのでナイフは無事だった。
教室に居て持ち物検査があったときは靴下の中に隠すことも考えてはいたが、せずにすんだ。朝練に向かっていたとき、
校門前に立っていた教師が騒がしかった。風紀委員会の顧問や規則に厳しい先生が話し合っていたのだ。
「もしも校門の前でやられたらもっと大変なことになっていたよね」
「やりかねんな……ナイフは見つからんようにせな……何があるか解らんし」
「……目は平気?」
「安定しとる」
何があるか解らないと言うのは忍足の目に関係していた。ジローぐらいしか知らないが、忍足は物の死を見ることが出来る。
知覚して、認識さえしてしまえば幽霊だろうが人間だろうが物だろうが、浮かび上がる黒い線を切れば殺せてしまう。
漫画にあるような能力だが忍足は持っていて嬉しいと想ったことは無い。
今だってかろうじて見えないようにしているだけだ。年がら年中、線を見ていれば狂ってしまう。
「そのナイフ、京都で買ったんだっけ」
「貰ったって言うか……そうやな。お守りや。ジャックナイフみたいなのやけど」
「ジャックナイフって、テニスの技にもあるよね」
「使いやすいんやろ。語感が」
忍足が持っているナイフは忍足が滞在していた京都で手に入れたものだ。骨董屋に行くとナイフがあり、惹かれて買ったのだ。
ナイフは精神安定に繋がっていた。刃物マニアというわけではなく、ナイフは騒動に巻き込まれたときに切り開く力としている。
線をなぞったりするためにナイフを使う。
事故によってイカれてしまった脳は視覚に影響を及ぼし、目は忍足に災難しか呼ばない。
刃先が飛び出すナイフはジャックナイフと言われているが忍足としては愛用のナイフをジャックナイフと呼びたくなかった。
ジャックナイフとは折りたたみ式の大型ナイフを言うが、その他にもテニスの打法やプロレス技、自転車やバイクの走法が
ジャックナイフと言われている。
「……ジャックナイフの元ネタって?」
「イギリスの殺人鬼やったはずや。跡部の方が詳しいんやないか」
跡部は日本よりも外国にいた方が長いと聞いている。イギリスに一番長く過ごしていたとも。
ジャック・ザ・リッパーは切り裂きジャックとも言われていて今でも解決していない事件であり、イギリス史に残る殺人鬼だ。
「漫画であったよ」
「どの漫画や」
「エンバー……」
イギリスと忍足が言ったことでジローはジャック・ザ・リッパーが出ている漫画について想い出していた。
忍足が何の漫画家を聴いて、ジローが言おうとすると忍足の携帯電話が鳴る。取り出して誰から来たのかを確かめると
宍戸のメールだった。メールの内容を読む。
「……ジロー。俺ちょっと戻るわ。救援メールが来た。宍戸からや」
「救援……」
忍足は携帯電話の画面を見せる。そこには宍戸からのメールで簡潔にこう書かれていた。
【持ち物検査で盗られた物を取り返すのに巻き込まれた。助けてくれ】
目……正確に言えば脳だが目と言っておく……が壊れてしまってから忍足は世界に負けないように、自分に負けないように
格闘技や剣道や自衛の手段を取得してトラブルに対処出来るような知識や知恵も身につけた。
災難だって災厄だって避けるようにしている。
なのに。
「何をどうやればこんなことになるんだ。忍足」
「そんなこと、俺に言われても困るんですよ……監督」
テニス部顧問である榊太郎に尋問をされながらも忍足は受け流していた。完全に受け流せているわけではなく、
疑惑が大きくなってはいるようだ。
職員室で忍足は尋問されている。
それもそうだろう。持ち物検査によって没収された物を置いていた部屋は窓ガラスが割られていたり、
廊下は消火器の白い粉なまみれになったりしていたのだ。
「お前達だけでやったのか」
「……他にも何人か居たみたいなんやけど、持ち物検査が突然すぎて物を取られた人等が取り返すって要素が絡んで、
俺も解りません」
真面目に忍足は答える。居るのは会議室だ。
用事とかで居なかったはずの榊が夜に帰ってきていたのが最悪だった。救援として呼びだされた忍足は
物を取られたとか言う向日や巻き込まれたらしい宍戸と取り返すために動き出したのだが、他にも取り返そうとしていた者は
居たらしい。風紀委員の厳しい先生が怒って、竹刀を振り回してきたりとしていた。
竹刀を教科書で受け止めたり、センサーを破壊したりした忍足ではあったが彼は何も物は盗られていない。
騒動が大きくなりすぎる前に向日や宍戸、ジローは逃がしたが忍足が捕まった。
立ったままで忍足と榊は会話をしている。
「お前は何か盗られたのか」
「いいえ。救援に呼ばれただけで……向こうの先生も悪いみたいなんやけど。生徒に竹刀振り回すのは……」
「教師を気絶させたのは誰だ?」
「足、滑らせたんじゃないですか……」
榊監督に対抗出来るのは忍足ぐらいである。向日や宍戸、ジローでは無理だ。愛用のナイフは鞄ではなく右足の靴の中に入れている。
ここで負けてナイフが発見されれば泥沼になるからだ。追いかけてきた風紀委員会の教師は忍足が気絶させた。
事故に見せかけておいたのでばれることはない、はずだ。
尋問をされていると榊の携帯電話が鳴る。跡部と榊が言っていたので跡部からの電話らしい。
「跡部が来るそうだ」
「……暇なんやなぁ。跡部も」
「座れ。……来るまで時間がかかるようだ」
言われて忍足は座る。
左足で床を軽く叩いた。災難に巻き込まれたくなくて、避けていたのに今こうして自分はいる。
人間と関わり合いにならないように、自分が巻き込まれるであろう災難に誰かを巻き込ませないためにしていたが、
災難には自分から飛び込んでいるような気がした。
お守り代わりのナイフの感触が右足にある。このナイフで忍足は物は切ったことがあるが、人間は切ったことがない。
(使い方次第とはいうても……)
ナイフは使い方次第で色々なことが出来るが忍足の目は殺したりすることしか出来ない。
目を閉じて出来る限り世界を見ないようにしながら忍足は跡部を待つ。会議室の空気は肌寒く、
エアコンを入れて欲しかったが、言わないでおいた。
【Fin】
意外と不安定なところがあったりします。忍足は。
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