062 オレンジ色の猫

        
縮んでしまった右手を握ったり、開いたりしながらルシエラ・ガートルード・ジンガレッティは息を吐いた。
調子は悪くはないが、縮んでしまった身体を見ていると、気分が重くなっていく。
今でも思い出せるが、縮んだときの身体の痛みはそれは酷いものだった。
身体の内側からベルトで締め上げられるような痛みが溢れ出てきたのだ。成長痛ではなく退化痛と言うべきだろうか。
重い気分を引きずりながら、入院着から大阪で購入した安物の服に着替える。赤色のロングスカートと白色のブラウスだ。
安いが作りがしっかりしている。
白色のゴシックロリータにしたいところだが、持ってきた服は全てサイズが大きくなってしまっている。

(着たいのに着られないなんて)

妥協出来るところは妥協するしかない状況だ。
ルシエラの引いている狂気の血、九番目の血と十番目の血はそれぞれ薬品精製と領域操作の力を宿主に与える。
上手く使えばルシエラがサイズの大きな白色のゴシックロリータを着ていても違和感無く出来るのだが、
白色のゴシックロリータはルシエラ・フラガラッハのトレードマークでもあるため、うかつには着られない。
前に買い物に出たときに着たのはあえて、だった。
アドラスティアは外国人で白いゴシックロリータを着ているというのが、ルシエラの作った設定であり
裏社会にもそう広めてきたからだ。

「ルシエラ。着替えたか? 行くで」

病室の扉をノックして入ってきたのは忍足謙也、ルシエラが入院している忍足医院の院長の子供だ。
せっかちすぎるところはあるが、気を使ってくれたりもしてくれる。謙也は学ランと言う学生服の一種を着ていた。
肩にはテニスバッグを担いでいる。
今日は午前中は謙也の通う学校、四天宝寺中に行くことになっていた。
ルシエラは茶色いトランクを手に持つと病室のドアを開ける。

「学校は、初めてなのよね」

「通ったことない、言うとったからな……そのトランク、ごっついで。旅行に行くんやないんで」

「鞄はこれとスーツケースしかないのよ」

ルシエラが手に持っているのはアンティークの茶色いトランクだ。中には化粧品などが入っているが爆薬なども入っている。
牛革で出来ているお気に入りの一品だ。何処へ行くときも持って行っている。

「鞄とかも買わなあかんしな。買うもん多いで。金は……」

「あるわよ」

日本滞在用の銀行口座には一年は無駄遣いをしても余裕で滞在出来るだけの資金を入れて貰った。
銀行口座でお金を出し降ろしするだけでも、そこからルシエラの居所がばれてしまう可能性もあるのでその辺りは
手は打ってはある。
話ながら謙也とルシエラは階段を下りる。忍足医院の病室は二階にあり、一階に下りてから玄関から外に出る。
春の青空が広がっていた。

「謙也、ルシエラちゃん、上手いこと会えたな」

「蔵ノ介。おはよう」

忍足医院の前に来て、自転車を止めたのはルシエラの今の雇い主でもある白石蔵ノ介だ。昨日、迎えに来ると言っていた。

「時間通りやな。鍵当番は……」

「今日は小石川や」

「午後は買い物もあるからな。部屋の方も荷物とか運ばなあかんし」

「色々して貰って悪いわね。ありがとう」

午後はルシエラが忍足家にホームステイをするための準備に使う。家電や家具を購入したり、部屋に運んだりするのだ。
部屋は謙也や謙也の弟である翔太が片付けたりしてくれていた。
ルシエラの言葉を聞いた謙也は複雑そうな表情を浮かべた。

「何せ、日本に住むとか言った後で何処借りるねん言うたら何処か、とか借りられるんか、で何とかなるわとか、お嬢様やからって
ざっぱすぎやで!? 心配にもなるわ」

「……ルシエラちゃん……」

白石も苦笑いをしている。
イタリア人はコネと金で全部何とかなると想っているフシがあり、ルシエラもそう想ってる。かつて一緒に組織に所属していた
同胞であるディオニージ・ドゥリンダナに何とかして貰おうとしていたのだ。
謙也達からしてみれば中学生ぐらいの女の一人暮らしというのは無謀である。日本は他の国に比べれば安全だが、
都市レベルで見れば都会は危険だ。

「行きましょう。部活って言うのに……」

ルシエラは話をそらせておくことにした。
白石は自転車を降りると手で押していた。謙也もルシエラにあわせて歩いていた。
謙也の足は非常に速いし、白石も自転車があるので早めに四天宝寺中には行けるのだがルシエラを気遣っていた。
身体の方は十二分に治っている。血の力が落ちたのがネックだが、これについてはあげていくしかない。
昨日の夜にディオが病室に来たため、血のサンプルは渡しておいた。専門の検査をすればどうなってるか分かる。
ディオは日本製の携帯電話……スマートフォンと言うらしい……もくれた。
番号などの細かい手続きはすませてあった。
四天宝寺中の校門は木の扉であり、日本の寺というのに似ていた。

「四天宝寺は日本の学校の中でも変わった学校やからな」

白石が言う。
今日は普通に入るか、と言った謙也が校門の扉を開けていた。何事もなく扉は開き、白石の自転車を
自転車置き場に置いてから、部室棟の方に行く。校舎らしき建物の他にもホールらしき建物もある。

「……コンサートでもやっているの?」

「あれは四天宝寺華月、金曜日にはお笑いライブやっとるんや」

謙也が教えてくれたが日本のお笑いというのはルシエラにはいまいち分からない。
入院中は落語のCDを聞いてみたりもしていたが、病室にはテレビはなかったのだ。
部室の前に行くとテニス部のユニフォームを着た部員が何人もいた。

「蔵リンに謙也君……その女の子は誰?」

「始めまして。ルシエラ・ガートルード・ジンガレッティと言います」

「白石が助けたって言う。お嬢様やな」

坊主頭の学生が聴いて来たのでルシエラは先に自己紹介をしておいた。体内プラントを起動させて、
相手の警戒心を緩める薬品を作りだしておいて撒いておく。
白石や謙也と始めて出会ったときは動揺して使っていなかったが、話をスムーズに進めるためにこれはよく使っていた。
赤いマスクをつけた学生も居る。白石と買い物に出た時に出会った二人だ。
二人と会ったときにルシエラは素早く逃げていたので会ったのは一瞬だったが。

「家にホームステイすることになって、学校にも四月から通うことになったんや。今日は見学やな」

「そうなの。私は金色小春。あっちは一氏ユウジ、ユウ君よ」

「その子って、前に白石と話しとったらいつの間にか居らんくなった……」

「景色が珍しくてあちこち見ていたらはぐれちゃって、蔵ノ介が見つけてくれたの」

わざと自分ではぐれたのだが、半分ぐらいしか嘘は言っていない。白石に発見はされたのは事実だ。
微笑みと共に告げる。

「オサムちゃん、何処に居る?」

「師範と財前も居らんな」

「監督ならまだ来ていないし、師範は噴水で修行中じゃないかしら。財前君も来てないわよ」

「おはようございます」

棒読みのような挨拶が聞こえた。学生服を着た耳にオリンピックの五輪の色をしているピアスをつけた少年が居た。
眠そうである。

「噂をしとればやな。ルシエラ。コイツが財前や」

「始めまして」

「……外人何に……日本語上手いんッスけど」

謙也が財前光を紹介する。ルシエラが話すと財前が驚いていた。
日本語の標準語ならば問題無く読み書き出来る。平仮名も片仮名も漢字も使いこなせし、関西弁も何日かして覚えてきた。
財前は携帯電話を取り出すと、操作していた。

「お嬢様やから日本語ぐらい出来るやろ」

「ユウジ先輩、その理論おかしい」

「先輩なの?」

「財前は一年やから。ルシエラちゃんと同じ……年やな」

ルシエラが本来は十七歳であることを白石は知っているが、中一、十三歳と言うことに表向きはなっているため、
そう発言した。今のルシエラは十七歳にはどうやっても……能力を使わない限りは見えない。

「小学生ぐらいに見えるな」

「これから成長するわよ」

「……ええ。成長してみせるわ」

ユウジと小春の言葉にルシエラは小さく答える。かつての自分を取り戻すことは目標の一つとなっていた。



テニスの予備知識は謙也の体育の教科書を読んで知っていた。スポーツのルールが様々に載っている教本があったのだ。
翔太が持って来てくれた本の一冊だ。テニスはやったことはない。ルシエラは娯楽としてのスポーツはしない。
運動をするにしても仕事や自分の身体を維持するためだ。運動は疲れるので嫌いなのである。

「家は、去年は全国大会ベスト四になったんや」

ルシエラに教えてくれたのはテニス部の副部長、小石川健二郎だ。白石がテニス部の部長というのは謙也の話で知っていたので、
テニス部では立場的にはナンバー二のようである。白石は小石川にルシエラのことを任せた。
部長である白石は練習の他にも他の部員に指示をしたり、やることが多いのだ。

「テニスが強いってことなのね」

ボール拾いをしている部員やテニスラケットでボールを打ち込んでいる部員も居る。時々お笑いネタが混じっている。
笑い声が聞こえるがルシエラは眼を細めるだけだ。

「ルシエラはお笑いとか苦手なんか?」

「……日本人……大阪人? と感覚が違うのか……反応に困って」

四天宝寺中男子テニス部監督渡邊オサムがルシエラに話しかける。四天宝寺中のテニス部のモットーは勝ったモン勝ちや
笑わせたモン勝ち、らしい。勝ったモン勝ちと言うスローガンはルシエラは嫌いではない。
お笑い番組はイタリアにもあることにはあるが見ないのだ。
そうか、とオサムは笑う。

「銀、謙也とダブルス組めや。白石は財前君と組んで練習試合や」

オサムが指示を出す。謙也のパートナーである石田銀は背が高く、頭が禿頭だ。白石や謙也と同じ年らしいが、
そうは見えない。

「師範はテニス部では一番パワーがある。財前は逸材やな」

小石川が教えてくれる。
白石や謙也がテニスをしているのは初めてだった。白石は的確なテニスをするし、謙也は自分のスピードを上手く使い、
試合を優位に進めている。
途中でトランクの中の貰った携帯電話が鳴っていたので取り出して画面を眺めておいた。
部活は午前中だけであり、時間はすぐに過ぎてしまった。

「お疲れ様。みんな、すごいのね」

「ルシエラはんはテニスは……」

「やったことがないわ」

「病弱でよくベッドで寝たきりとか言うとったからな」

小石川やオサムと離れて、ルシエラは銀や謙也と話した。病弱設定は嘘であるが、成り行き上つけるしかなかったのだ。

「身体は今は十分、丈夫になってきたの」

「とは言うても倒れたし」

「あれは……たまたまよ。それと、午後は家電とか家具、買いに行くんでしょう。私は良いけど、謙也とか着替えがあるでしょう」

「家電? 買い物っすか?」

病弱設定は程々にしておかないと行動に支障が出るかも知れない。
通りかかった財前が話に加わった。

「財前、お前も来いや。家電とか詳しいやろ。それに家具とかええ店、知っとったら教えてや。ルシエラは一から揃えなあかんねん」

「構いませんけど、家電とか何が欲しいんっすか」

「……使えるならミシンとかアイロンとか?」

「ピックアップしときます」

財前は携帯電話を出している。
ミシンもアイロンも裁縫道具もイタリアの住居には置いてあるが日本には持って来ていない。
使えるならとつけたのは音の問題があるからだ。ルシエラは白いゴシックロリータなどは自分で制作している。

「俺は部屋を片付ける仕上げで先に帰るから白石にお前のこと頼んでおくからな」

「分かったわ」

聞いたところに寄ると、部屋の片付けをしてから畳なども直しておくらしい。謙也は先に帰るようだ。
謙也達は部室に入り着替えてから帰る。
ルシエラは部室の外で白石を待つことにした。財前も着替えてから忍足家に来てくれると言う。

「着替え終わったで」

「部室、入ってみても良い?」

「ええよ」

白石から許可を貰い、ルシエラは部室の中に入ってみる。ドアをが閉じられた。
部室には人数分のロッカーや、ベンチなどがあった。部員の私物なのか漫画雑誌や仏像が置かれている。
オレンジ色の猫のぬいぐるみがロッカーの上に飾られていた。

「デューからメールが来たの。こっちに来るって」

ルシエラは携帯のメールを白石に見せた。日本語のメールである。ルシエラもディオも会話はどの言語でも出来た。
『そっちに行く。着いたときに用件とか話す』とだけしか書かれていない。

「素っ気ないな」

「こんなものだけど」

テニス部部員はみんな帰ってしまっているし、監督のオサムだって午後は大事な用事があると早々に帰宅した。
部員の会話を聞く限りでは麻雀を雀荘にやりにいったらしい。

「部活、どうやった」

「新鮮だったわ。面白いし、蔵ノ介は丁寧なテニスをするし、みんな持ち味を生かしているわ……お笑いは苦手だけど」

「慣れていけばええわ。慣れすぎてもあかんけど……」

「確かに独特のノリだよね。ここって」

ルシエラと白石以外の声が聞こえた。
声のする方向を見ると、ディオが居た。ドアは閉じたままである。ルシエラは驚かなかったが、白石は仰天していた。

「ディオ君!? 忍者か!? ドアとか開く気配無かったで!」

「壁抜けしたのよ。物質精製能力使えば出来るわ」

ディオの能力、物質精製は物質操作の面も含まれている。能力を利用すれば壁抜けだって可能だ。
組織にいた頃は出来なかったことでもある。組織が壊滅してから出来るようになったのだ。

「驚かせたかったから、やってみた」

「めっちゃ驚いたわ」

白石の言葉を聞いてディオは少し満足そうにしていた。ディオはルシエラの方を向いた。

「アン、血だけど速攻で調べたら退化してた」

「速いわね」

「君は嫌がるだろうけど玖月の力をちょっと借りた」

ディオは用件を伝え始める。
玖月は玖月機関の略であり、日本における狂気の血の一大コミュニティだ。財閥めいているところがある。
銀色のカードを取り出すとディオはレポート用紙にする。渡されたレポートをルシエラは読んでみるが、
血が退化していたことが書かれていた。白石も覗き込んでみている。

「血が退化した言うけど以前のルシエラちゃんの血とか入れて戻るとかは……」

「貧血みたいなものでさ、入れても今のアンの血に押し流されるから地味に血の力を上げるしかない」

貧血患者が健康な血を輸血されてもヘモグロビンなどは自分の身体のものにあわさってしまい、輸血では貧血は
治らない。ルシエラの症状もそれと同じだと言う。

「上げるってどないにするんや」

「怪物化するギリギリを見計らって使う……RPGのレベル上げとかスポーツのレベル上げと同じ」

狂気の血は使えば使うほど怪物になってしまうが、上手く上げることが出来れば血は進化する。
ルシエラもディオも怪物化を避けながら血を進化させてきたのだ。
レポートを全て読み終わったルシエラはレポートをディオに返す。ディオはレポートをテニスボールに変化させて
地面に落として転がした。

「血が進化すればもっといろんなことが出来るんか」

「その分、使えば血の侵蝕が大きいけどね。……例えばデューは武器を作って、電撃を纏わせて発射出来る」

「……手札ばらさないで欲しいんだけど」

「アンタの方が分かりやすいし。武器を作る、電撃を纏わせる、さらに効果付加をしていけば血がその分活性化」

ディオが無表情に言っている。狂気の血は使う技にも寄るが、殆どの技はずっと使い続けられる。
RPGのゲームで言うMPの枯渇化が無いのだが、血に支配されていくのだ。少し簡単に血の能力を使うなら、
侵蝕が無かったりすることもある。使用者は見極めなければならない。

「おれは一週間ぐらいは日本にいるから、これから新幹線に乗って関東に行くけど」

「並盛?」

「そこもかな。海遊館行きたかったんだけどね。今度にしておくよ」

海遊館は大阪にある世界最大級の水族館だ。ディオは忙しいようだ。組織を出た後で彼はある人物に雇われているのだが、
人使いが荒いらしい。そうは言いながらもずっと雇われているのは気に入っているからか、他に決めるのが面倒なのか、
ルシエラには分からない。

「海遊館はジンベイザメが居るで」

「見たいんだよね……それと、この部室に入って気になったことが一つあるんだけど――」

ジンベイザメはルシエラも見たことはない。ディオは緩やかな雰囲気で。

「この部屋、盗聴されてたんだけど、心当たり無い?」

とんでもないことを告げた。



四天宝寺中には諜報部という部活が存在する。
名前だけを聞くとスパイ活動をしているような部活ではあるが、実際していることと言えば、生徒会の下請けだったり、
放送委員会の下請けだったりと、下請けばかりしている部活だ。
ややずれている四天宝寺中ではあるが物騒な裏組織は必要は無かった。

「助かったで。ディオ君が気付いてくれんかったら、諜報部がほんまもんの諜報部になるところやった」

白石は心底ディオに感謝していた。
ディオが部室にあるオレンジ色の猫のぬいぐるみを持ち上げ、中を切り裂いて黒い小型の盗聴器を出したのだ。
部屋に入った瞬間、盗聴電波を感じたディオは能力で部屋一帯に電波障害を起こして盗聴器の電波を攪乱したらしい。

「デューの血、六番目の血は電気絡みなら殆ど何でも出来るから」

ルシエラのことがばれたのかと白石は考えたが、それならば部室に仕掛けるのではなく、忍足家などに仕掛けるだろうと想い、
別の考えに切り替えて諜報部の存在を浮かべた。諜報部は本物の諜報部になろうとしている派閥があることを
聞いていたのだ。盗聴器を壊しておく? と聞いたディオに証拠として持って行くと言った白石はルシエラとディオを
諜報部の部室に一緒につれて行った。
その後はと言うと、諜報部を締め上げたり、二度と盗聴するなと言っておいたり、念のためにディオに盗聴器発見器を
作ってもらったりとしていた。なお、新幹線の時間があるとディオは帰っていった。
白石は自転車乗り場で自転車を出していた。ルシエラはトランクとオレンジ色の猫のぬいぐるみを持っている。
破いたところはディオが能力で直してくれていた。
トランクの中にはルシエラが前に白石に渡した白色のゴシックロリータも入っている。
一段落したときに存在を想い出してルシエラに返したのだ。

「新聞部が情報収集とかやっとるから、諜報部は下請けをしとればええんや。元は逃げ場みたいなところやし」

「逃げ場?」

「四天宝寺中はな。運動部と文化部に全員が所属せなあかんのや」

「それ……きつくないかしら」

学校についてよく知らないルシエラではあるが、白石の言っていることが無理があることぐらいは分かる。
運動が苦手な人だって世の中には居るし、文化系の部活に全力を使うより、運動部に全力を使いたい者も居るだろう。

「先生方も分かっとる。片方を真面目にやっとれば咎めへん」

「そうなの……私も部活に所属しないといけないのよね。運動部か……どんな部活があるの?」

「テニス部やろ。バレーボールにアメフトにバスケに野球にカバディにセパタクローとか」

「最後の二つが何か微妙な競技なんだけど……私、運動は好きじゃないのよね。動くの」

「あんだけ動いとって……」

「いつもは薬を撒いてるのよ」

ルシエラの能力は薬品精製と領域操作であり、この二つは肉体をさほど使わなくても良い能力なのだが、
彼女が肉弾戦をするときは能力で足りないときや血を使いたくないときだ。薬で勝てるならば薬を使っていく。
運動神経はあるとは言え、病弱と言っているルシエラだ。仮に身体がよくなってきたから運動が出来るとは言って運動はしても
出来すぎるだろうから浮いてしまうし、隠れているのだから目立たない方が良い。
白石はあるアイディアを思いついた。

「ルシエラちゃん、テニス部のマネージャーやってみんか?」

「マネージャー?」

「オサムちゃんには俺が言ってみるし、テニス部の細々としたことを片付けたりするんや」

四天宝寺にマネージャーの制度はない。昔はあったかも知れないが白石がテニス部に入ったときにはなかった。
仕事は副部長がやったり、一年生にやらせたりとしていた。

「それなら出来そうね。セパタクローやカバディはやりたくないし、蔵ノ介の側に居た方が良さそうだから」

「俺は文化部やったら新聞部に入っとる。小説書いとるんやで。文化部は入学してからでええやろ」

「テニスのルールは見て解ったし、憶えていくことは憶えていくわ」

「春休みはまだあるし、ルシエラちゃんも部活は顔出しとればええわ」

白石の小説は新聞である意味問題になっている妙な小説なのだがそのことについてはまだルシエラは知らない。
ルシエラをテニス部のマネージャーにしておけば、白石としてもフォローが効く。先のことは不明であるが見える範囲の
先については考えておくべきだ。

「学校は分からないところだから」

裏社会で生きてきたルシエラは学校に通えるはずはなく、勉強は組織で教わっていたことや、自主的に勉強をやったぐらいの
ようだ。勉強についてルシエラには不安はないとディオが言っていた。剣王は総じて学習能力は高いらしいし、
彼女は暇があれば本ばかり読んでいたらしい。知識をつけるためにだ。
不安なのは日常生活だろう。白石にとっては何気ないことだがルシエラにとっては異質なことだ。
暗殺者だって殺し屋だって日常生活は送っていないわけではないが、学校に通ったり、遊んだりすることは未知の領域に入る。

「不安がらんでも、俺も居るし」

「……不安じゃないわよ」

「怖くは、無いからな」

白石がルシエラを安心させるように視線を合わせて笑う。

「……Nonostante una piu giovane persona」(年下の癖に)

視線をすぐに外してルシエラがイタリア語で呟いた。イタリア語は白石には分からない。

「イタリア語は……英語ならどうにか」

「Despite a younger person」

「無理やったわ」

白石が苦笑いする。その様子を見たルシエラはトランクを白石の自転車の籠の中に入れた。

「帰りましょう。午後は買い物なんだから」

「後ろ、乗ってけや」

「どう乗るの?」

シティサイクルには荷物置き場がない。白石はテニスバッグを自転車の籠の中に無理やり入れてから、
後ろの乗り方をルシエラに教えた。



ルシエラはシティサイクルでの二人乗りは初めてだったし、自転車の二人乗りも初めてだった。
後輪の車軸に足を引っかけて立ち、白石の肩に手を載せて支えにする。
白石は忍足家まで送ってくれると言ってくれていた。
数分間の短い自転車の二人乗りだと想っていたのだが……。

「蔵ノ介……私が降りたら」

「お前はこのまま自転車に乗っとればええ!!」

「待て――!!」

白石はシティサイクルのペダルを漕いで爆走していた。後ろからは自転車に乗った警官が追いかけてきている。
二人乗りをしていたら警官が二人乗りは危険だと言ってきた。
バランス感覚がある方のルシエラは二人乗りでも別に危険ではないと感じたが、警官は危険だと判断したようだ。
警官の判断を白石は無視して自転車を走らせ、警官が追いかけてきている。
自転車はガタガタ揺れていて、バランスを取るのが面倒になってきていた。警官は単に二人乗りをしているルシエラと白石を
注意しているだけでありルシエラが今まで行った殺人やその他諸々については咎めないと言うか気付かないだろう。

「何処に行こうとしているの」

「お前となら何処でも行ける気がするわ」

「乗っているところ悪いんだけど午後の買い物、憶えてる?」

「んー絶頂!! このまま走っていけば警官から離れられる!」

警官はホイッスルを鳴らして自転車で追いかけている。何処へでもと言われても忍足家に帰らなければならない。
買い物は謙也や財前と一緒なのだ。集合場所は忍足家なのである。ルシエラはこの辺りの土地勘が無い。

「商店街?」

小道を抜けて辿り着いたのは行ったことがない商店街だ。魚の匂いや肉の匂い、雑貨屋などが通りの左右に並んでいる。
広めの煉瓦の道を白石は自転車で駆け抜けた。

「まだ追いかけてくるんか。だが、今の俺は何処でも走れるで!」

「何処でもって……」

白石の視線を追うと歩道橋が目に入る。歩行者や自転車が道路を渡りやすくするために交通量の多い道路の上に作ってある
橋ではあるが、そこにあるのは階段だけだ。坂道はない。目の前の歩道橋の階段は誰も上っていない。
先の道には人が多く歩いている。

「このまま渡るで歩道橋!! ルシエラちゃんと俺ならきっと渡れる!」

「鎮まりなさい。蔵ノ介――!!」

体内の薬品製造プラントを起動させて鎮静剤でも作って白石に打ち込むべきかと一瞬考えたルシエラではあるが、
勢いに乗った白石が自転車から降りずにそのまま、階段を走り始めたので使わないでおいた。
ここで白石を落ち着かせてしまうと階段から落下したりして彼が怪我をするかも知れない。
ルシエラはと言うと怪我はしないはずだ。バランス感覚はあるのだ。
ガタガタと自転車は揺れていく。

「バランス取りづらいな。落ちんようにしっかり捕まっとるんやで」

「私じゃなかったら落ちてるわよ。これ!」

「ルシエラちゃんでよかったわ」

もう一つの能力である領域操作能力で何か出来ないか脳内で検索をかけてみるが出来そうなことがなかった。
領域操作能力というのは相手を支援することにも長けている能力であるが血の力が落ちたせいで、支援能力も
失ってしまったらしい。血の能力も何が残っているのかを調べておかなければならなかった。
狂気の血は使えば使うほど血が侵蝕していくが、侵蝕度が高くなっていくと使える能力もある。
座って白石の腰に手でも回せれば安定するがシティサイクルには荷物置き場がないので無理であるため、
肩を掴むしかなかった。

「登り切った、の……?」

「やったで。俺! これで警官も追っては……」

「クーちゃん!!」

「ルシエラさん」

揺れが無くなり安定し、ルシエラは白石の肩を掴んだままで周囲を確認した。視界が高い。下の道路にはトラックや
バイク、軽四など多種多様な車が通り、人々が歩道橋を眺めている。
注目を浴びてしまったようだ。ルシエラは次に声の主達を見る。ルシエラ達が登ってきた歩道橋の反対側から登ってきていた。

「翔太……元気ね」

「目が疲れてるよ……」

「蔵ノ介と二人乗りに挑戦したら、警官が追ってきて私は降りるって言ったのにそのまま……」

忍足翔太は忍足家の次男だ。謙也の弟である。今は小学校六年生で、今年の四月からは中学生になる。
学校は四天宝寺ではなく別の進学校に通うと聞いていた。黒髪の利発そうな少年だ。謙也と髪の色が違うが謙也の髪も
元は黒であり、脱色したと聞いている。
ルシエラは自転車から降りた。

「そのまま走るってどういうこと!?」

「友香里、警官に追われたら逃げるもんやし、ルシエラは警官に捕まったらあかん……」

「誰でも捕まっちゃダメでしょ」

「誰?」

「白石さんの妹の友香里……俺と買い物途中で逢った。同級生」

白石が色素が薄い髪の毛をしているのに対し、妹の友香里の髪の色素は濃い。ピンク色のシャツと白色のスカートを着ている。
髪の毛は短いツインテールだ。

「……落ちないように必死だったわ。二人乗りって怖いのね」

「そりゃ、落ちたりしたら怖いけど、ルシエラさんが間違ったことを憶えそうな」

「クーちゃんの馬鹿!!」

友香里が白石の頬を叩いた。後ろから自転車から降りた警官が階段を上ってきている。ルシエラはオレンジ色の猫の
縫いぐるみを自転車の篭から出すと両手で握っておいた。

「午後からの買い物、行けるかしら――」


【Fin】

翔太は良識人というか常識人というか、ディオは関東の方でまた事件に巻き込まれる予定ですが

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