063 でんせん

        
千歳真鶴にとって、千歳千里というのは一日違いの年上の従兄であり、対等の立場で接してきた親戚でもあり、
放っておけない者でもあった。大阪駅の前で彼女は腕時計で時刻を確認する。
背の高い私服姿の二人は人混みの中でも目立つ方であった。

「千里。そろそろ行かないと、私も新幹線があるし」

「大坂城とか見学できたし良かったと」

「熊本城の時は飛駿とミユキも居たわね」

熊本城には真鶴の弟の飛駿と千歳の妹であるミユキと行った。去年の秋頃の話だ。
あれから半年が経ち、千歳も真鶴も熊本を出て、それぞれ、大阪と東京で活動しようとしている。
真鶴は速めに東京に着くはずだったのだが、千歳と共に新幹線に乗ったのが悪かった。
千歳とは大阪で別れるはずだったのに時間があるのだと言われて、大阪を観光してしまったのだ。予定がずれたので、
東京の方に電話をしたりしてから、大坂城へと行っていた。

「飛駿は以外と城好きやったし、ミユキも楽しそうだったと」

「今度、二人も大坂城に連れてきましょう。千里、しっかり行くのよ。道草しちゃ駄目だから」

弟は以外と城が好きだったし、ミユキも外で行動するのは好きなのだ。

「そこまで釘ささんでも、ちゃんと行くったい……真鶴」

「私は東京に着いたら連絡するから」

新幹線の時間を確認し、真鶴は大阪駅内へと行こうとする。予定通りに行かないというのは真鶴は余り好きではなかった。

「真鶴。元気で」

「貴方もね」

呼びかけられてから真鶴は軽く言うと大阪駅内へと行く。一人残された千歳は頭を掻いてから、
のんびりと憶えた地図通りにこれから一年間住むことになる四天宝寺中の寮に向かった。



千歳が四天宝寺の寮に向かっている頃、千歳が来るはずの駅前では忍足謙也、財前光、金色小春、一氏ユウジが待っていた。

「ここで待っとれば来るんっすよね」

「ルート的には間違いないわよ」

「さすがやで小春!」

「千歳が来たら歓迎して、寮に連れてって、白石達と合流やな」

謙也はあらかじめ、監督である渡邊オサム達と千歳のことを話しあっていた。
オサムは午後は競馬に再挑戦しに行くらしいので、自分達だけでやらなければならなかった。

「歓迎用の布とか作った方が良かったかな?」

「いらんっすわ……ユウジ先輩がつくっとらんの、珍しい」

「ルシエラを笑わせるための方に比重が行っていたからよね」

四天宝寺はお祭り好きである。財前は千歳を迎えるための立て札でも作っているかと想っていたらしいが、立て札も何も無い。

「何せ、千歳についてはあらかじめ聞いとったが、ルシエラについては唐突やからな。珍しいやん、イタリア人」

「謙也クン。謙也クンの家にホームステイしてるけど、家だとどんな感じなの?」

千歳はまだ来ない。ユウジや小春の話題はルシエラの方に向いていた。千歳の転入については三月の中頃から聞いていた。
いつ来るかまでが解らなかっただけだ。ルシエラはと言うと、予告も無しに現れたのだ。
話題になるのも無理はない。

「どんな感じ……箸の使い方は上手かったで。外人やとは思えんぐらいに器用に食うとった」

謙也はルシエラとの生活を想い出していた。
箸は東南アジア圏の道具であり、ヨーロッパではまず使われない。ヨーロッパでも日本食ブームはあるようだが、
食べるにしても、フォークやナイフを使いそうではあった。
ルシエラは箸を器用に使い食事をしていた。魚の骨だって取っていた。

「お嬢様、さすがや……」

「何でもかんでもお嬢様で解決するんはどうかと想いますけど」

「他には何かある?」

「漫画とか本とか新聞好きやな。ジョジョを読んどったし、他にも何でも読んどるし、頭ええわ。英語教えて貰た」

新聞は毎日チェックしているらしく、良く読んでいた。本も急いで読むときと、ゆっくり読むときがあったがどっちにしろ、
好きらしい。ペースが違うことについて聞くと、速読は情報は入るが、情報として文を入れるので情感はないらしく、
情感を感じたいときはゆっくり読むらしい。
謙也は英語は得意な方だが難しい問題があったときにルシエラに教わった。

「英語か……イタリア語とどう違うんやろ」

「聞いてみたら、文法とか違うとか、アイツはどっちも同じぐらいに使えるらしいで。筆記体で正解書いて、
ブロック体書いてとか頼んだり。国語とかも得意や! 国語も教わった」

「筆記体とか使えるって外人やな!」

「……そこ、驚く点じゃ……国語をルシエラに教わるっておかしいっすわ」

英語とイタリア語はヨーロッパ圏の言葉なので勉強する気になれば憶えられるにしろ、日本語とイタリア語や英語では
根本的に違うところがある。財前に言われ謙也は昨日、弟である忍足翔太に似たようなことを言われたことを想い出した。
――兄ちゃん、ルシエラさんに国語教わるって……。
弟が呆れていたのを兄は回想した。

「ルシエラは勉強が出来るってことで、その他にも、エピソードはないの?」

「エピソード言うても、生活してそんなに日も経っとらんし、イグアナを可愛がっとったとかぐらいで……」

「着替えを覗いちゃったとか無いの?」

「そんなベタなエピソードを謙也さんが経験……」

小春が言うと謙也が無言になった。財前、小春、ユウジが謙也に視線を送る。

「……し、しとらんで!? 着替えは覗いとらん! 風呂なら覗いてもうたけど……事故やで!? ユーシと電話終わって、
シャワー浴びようと風呂場行ったらアイツ、ぼんやりシャワー浴びとって、振り向いてぼけーで俺が悲鳴あげたわ!」

「互いに裸だったの……」

「服着てシャワー浴びるほどボケや無いで。ルシエラ。誰も居らんと想てシャワー浴びる気でおったんや」

「つまり謙也も服脱いどったんやな……」

財前が携帯電話を取りだして操作を始めていた。一気に喋った謙也は小春とユウジに問い詰められている。

「脱衣場に鍵かけとらんのやで!? アイツに聞いたら、鍵をかけてると危ないって、かけとらん方が危ないわ!!」

「ルシエラちゃんの反応はどうだったの……?」

「俺の方が逃げたから……」

数日前の夜だった。シャワーを浴びようとした謙也はルシエラがシャワーを浴びていたことに気がつかなかった。
彼女はずっとシャワーを浴びていて、謙也が来ても反応が鈍く、謙也の方が逃げてしまった。
ルシエラは後で考え事をしていたの、とだけ言っていたが、今度また同じ事があるとまた心臓に悪いので、
シャワーを浴びるときは互いに言っておくようになど決めごとをしておいた。

「外国やと、水の違いとか香水の発達とかで風呂は毎日入らんからシャワーばっからしいっすわ。入るときもたまにあるらしいけど」

「物知りやな。財前」

「友人情報で。日本の習慣の方が珍しいって、水が安いとか……」

「慣れてもらわなアカンな」

謙也かは財前から情報を貰った。風呂に毎日のように入るという習慣は日本の習慣であり、ヨーロッパなどでは
シャワーですませてしまう。外国も風呂に入ることはあるが少ない。

「一つ屋根の下で暮らすんだからもっとハプニングがあっても良いと想うんだけど、一緒に布団で寝ちゃったりとか!」

「まだ始まったばかりやで。小春……ホームステイは始まったばかりや!」

「騒ぎ立てられても困るで!?」

「先輩方! あれ……」

小春とユウジのからかいのネタになっている謙也であるが、そのからかいも財前の声で止まる。
財前の視線の先には背の高い、少しだぼっとした白い長袖を着た青年が歩いていた。
謙也は彼が現れたことに心中で感謝しつつ、彼の名を呼んだ。

「千歳――!! こっちやで!!」



ルシエラ・ガートルード・ジンガレッティは始めて四天宝寺の寮を見た。

「……蔵ノ介……これはあばら屋というものじゃないかしら?」

「寮なんや。これでも、寮なんや」

四天宝寺中の近くにある木造二階建ての建物が、四天宝寺寮だった。ルシエラが白石蔵ノ介に聞いてしまうのも無理はなく、
寮は崩れかけそうな窓やドアに崩れている窓やドアがあった。側には自転車が何台か停まっている。
建物は横に長い。ルシエラはあらかじめ白石から貰っていたパンフレットを速攻で読んでみた。
”スポーツやお笑いやお笑いを真剣に学びたい方、歓迎です。その他、四天宝寺に通いたいが遠いという方も歓迎”と
書かれていた。

「お笑いが二回ほど書かれていたりしてるわね……一般的思考だとスポーツの方が大事じゃなくて?」

「四天宝寺やからな。もう数年頑張れば建築されて百年ぐらいになるらしいんや」

「華月を作るぐらいなら、この寮を改築した方が良いんじゃないかしら」

庭らしき場所には立派な畑が出来ていたし、物干竿には布団が何枚か干されていた。良く分からないオブジェも
置かれている。混沌とした空間だ。

「二人とも」

「師範。師範はここに……住んでいるのね」

ルシエラと白石を迎えたのは石田銀だ。銀は両手を合わせる。

「修行に良い。小石川はんは寮の掃除をしとる。入寮者よりも、部活やお笑いやたまに勉強で使う者の方が多い」

「勉強がたまになのね」

建物は日本家屋である。
パンフレット内には食事は自炊で、寮の代金も書かれていたが非常に安い。性別や国籍不問と書かれている。
年齢は一応は中学生までであったが、事情があれば中学生以上でも良いと書かれている辺り非常に大雑把だ。

「千歳はんの荷物は宅配便で届いとった。部屋まで運んではあるんや」

「私達は何をすればいいのかしら」

「掃除とかやな、少し寮も崩れかけとって」

「少しじゃないと想うの」

ルシエラは笑顔を浮かべた。
掃除をしろと言われたのでまずはルシエラと白石は寮の中に入ることにする。玄関は広く、ルシエラと白石は靴を脱ぎ、
寮の中へと入る。歩いてみると、食堂らしき場所が見えた。
らしき場所とルシエラが判断したのは食堂の看板は堂堂と大きな板で墨字で書かれていて扉の側についているのに、
扉そのものはなく、部屋の中には広々としていて、何故かドラムセットやギターが置いてあり、
食べ物を食べる道具がないからだ。

「そこ、食堂の機能が停止して久しくてな。寮生は台所で自炊して適当な場所で食っとるんや」

「……食堂の看板、外しなさい……自炊なの?」

「自炊やな。誰かが纏めて作ったもんをみんなで食うたりもするが」

白石の解説にルシエラは冷静に言う。彼女は寮についても知識しか知らないがこれはおんぼろすぎるだろうとは感じていた。
イタリアにあるセーフハウスや拠点として使っていた屋敷もそこまでのボロさではない。
歩いていくと談話室というのもあった。
談話室を覗いてみるとソファーや椅子があり、大きな画面の液晶テレビが置かれていて、DVDプレイヤー兼ビデオデッキが
繋がっていた。棚にはずらりとお笑いのDVDや映画のDVDが揃っている。
一階には他にもライオンの口からお湯が出る風呂場があったり、ゲーム部屋と呼ばれているゲームが置かれている部屋なども
あるらしい。階段を案内されて二階に上ってみるが、階段が今にも抜け落ちそうである。
二階の廊下も狭かった。そこそこの広さは昔はあったようだが、置かれたものが廊下の左右に並んでいて、廊下の幅を
狭くしていた。

「小石川」

「白石に師範、ルシエラも、掃除やけど、進まんなぁ」

足下に水を入れた金属製のバケツを置き、白色の雑巾で窓を拭いていたのは四天宝寺テニス部副部長の小石川健二郎だ。

「前に一回、卒業生が出た時に掃除したんやろ?」

「この寮は広い。掃除が追いつかん……古いしな」

「捨てられそうなもんは俺も捨てるべきやと想うんやが、どれがゴミでどれが物なんか不明でな」

「……確かに、広いわね」

小石川が廊下の側の荷物に目をやる。ルシエラが床を踏みしめながら呟いた。

「まずは掃除からやな。ゴミ捨てはその次や」

白石がやるべき事に順位をつける。掃除を優先して、掃除をしながらゴミを見分けて捨てることにした。

「まずは道具を揃えな。壊れやすい所もあるから皆、気をつけて欲しい」

「寮を建て直すのが先決じゃないかしら……」

寮生である銀が言う。ルシエラは銀に寮についてもう少し聞きたかったが聞いたら聴いたで、この寮を速く建て直せと言う
気持ちが一層強くなりそうだったので聴くのは止めておいた。やるべきことは掃除だからだ。
寮は北寮、中寮、南寮の三棟に別れている。
上空から寮を眺めてみればフォークの先端のようになっているのが四天宝寺の寮だ。

「ここはボロいけどネット環境もあるんやで」

白石とルシエラは北寮の方を担当することになった。銀と小石川は先に一階を片付けることにしたらしい。
金属のバケツに水をくんで雑巾を入れて持って行く白石の隣を水モップを持っているルシエラが歩いていた。

「使っていない部屋を掃除すればいいのよね」

「何処が使われとるんかとかもざっぱらしいし……北棟に千歳の部屋を取るとか聞いたな」

「千歳さん、どんな人なのかしら」

「俺と謙也はダブルスで対決したことがあるけど、かなり苦戦したな……この部屋か」

柱に千歳千里の部屋と白い半紙に炭で書かれていた張り紙がしてある。
千歳の部屋は何もなかった。日当たりは良い。硝子窓があり、白い壁の壁紙が剥がれかけている。
畳は畳と何とか解る程度だ。荷物である段ボールなどが隅の方に片付けられている。

「……何もないわね。寮の存在を先に知っていても……ここには住みたくないわ」

ルシエラはモップを柱に立てかける。白石はバケツを部屋に運んだ。

「女の子にはこういうところ、きついやろうな」

「昔なら別で、今はね……さっき、ダブルスで対決したって言うけど、西日本大会よね」

昔なら、とルシエラは言う。昔というのは復讐屋をしていた頃よりも、もっと前、一番最初の組織に居た頃だ。

「西日本大会とか知っとるんか」

「財前から話は聞いたわ。……テニスは立海ってところが、一番強いの?」

「強いで。四天宝寺がストレート負けした話はさっきしたけど、去年の大会の準優勝は牧ノ藤って言う兵庫の学校やったんや。
立海はウチの方が勝つのに苦労したとか言うとったらしい。こっちとしては複雑やな……俺はあの時、試合せんかったし」

白石は去年の全国大会、立海との試合はしなかった。出来なかったとも言う。白石に出番が回ってくる前に
ストレート負けしたのだ。

「兵庫は……大阪の近くのコムーネ……ね」

「……こむーね?」

「そっちでいう市町村……イタリアの場合、歴史が歴史だから」

「……パスタ?」

「イタリアをパスタで解決しないで!?」

イタリアの歴史とか言われても白石は知らないし、ルシエラもそのことは解っている。
コムーネはイタリアの自治都市を表している言葉であり、今は市町村を表す言葉だ。大きな市も小さな村も全て、コムーネになる。

「日本とイタリアやと、かなり違うやろう。滞在するとか不安とかないんか」

「無いと言えば嘘になるけど、イタリアに行く時点で危険なのよ」

ルシエラの戦闘能力はかなり落ちてしまっている。今の状態では抱えたものを守りながら戦うなんてことは
無理な話だ。これならば日本に居た方がマシなのである。

「そう言うのじゃ無くて、忍足家の生活とか、慣れへんことはあるか?」

白石に聞かれてルシエラはこのところの生活を回想してみる。

「生活は……シャワーを浴びていたら謙也が風呂場に入ってきて大慌てで出てきたりとか、何で鍵かけんねん! って」

「……それは、俺も謙也と同じ立場ならそう言うわ。かけられるなら、鍵かけようや!」

「鍵かけた状態でシャワーを浴びて刺客とか来ると危険なのよ。逃げられないし」

ホテルの部屋に滞在しているときはホテルの部屋に鍵はかけるがシャワー室などは鍵があったとしても鍵はかけない。
能力で追い払うことも可能なときはあるが、出来ないときだってある。逃げ道は確保しておくのが常だ。

「謙也が危険になるから風呂場では鍵かけるんや。これは雇い主からの頼みやで」

「蔵ノ介……そこまで頼まれたら聞くけど……そこまで頼むことなの……?」

「頼むことなんや。ルシエラちゃんも一般人の常識とか憶え……イタリアやったら一人暮らしやったんか?」

「ジンガレッティのそれなりに大きな屋敷で那岐や他と暮らしてたわよ」

ジンガレッティはルシエラがかつてやった依頼で依頼料として貰った貴族としての家名や土地や屋敷のことだ。
イタリアの貴族というのは形式上のものではあるが、生活をしていくためには十二分に役に立つものである。

「同居しとったんか」

「いつの間にか、ね……抱えられないのは別のところにやったりしたけど……良い天気ね」

ルシエラは息を吐く。
那岐にしろ、裏社会には何らかの事情を抱えて居るものばかりだ。そうでなければ裏社会で生活なんてしていないだろうが……
彼等の生活は成り立つのだろうかとルシエラは考える。今更ながらに気がついたが、ルシエラが屋敷では家事や料理をしていた。
千歳の部屋になる場所は日当たりが良かった。午後の太陽が、部屋の中に差し込む。

「これから桜とか咲いたりな。四月になったら入学式があって、学校生活も始まるで。ルシエラちゃんは初めてやな」

「貴方は、最後になるんだっけ? 中学校は三年生だから」

ルシエラが話を聞きながら両足を伸ばして座り、白壁に寄りかかる。壁に体を預けた。その時だった。

「そや。悔いの残らんようにせんと――、ルシエラちゃん!?」

白壁がルシエラが預けた体重により粉々に砕けた。
崩れた壁にルシエラの体は引っ張られるようにして倒れる。ルシエラは無言だった。

「……領域操作能力で寮を調べておくべきだったかしら……」

「領域操作能力とか能力はそんなに使たらあか……そんなんも出来るんか」

「出来るわよ。能力は残ってた」

小さいがはっきりとした声でルシエラは言う。領域操作能力は、因子を物に埋め込んで操作するほかにも一定の領域を
操ることが出来る能力だ。領域と認識した場所を調べることも容易い。
しかし調べてみても結果が変わらないような気がして、この寮を建て直すべきだということは変わらない気がして、
調べるのは止めた。

「壁が……ルシエラちゃんの体重で壊れた言うことは俺が寄っかかっても壊れたな」

「このまま壊して部屋を二つ繋げておいたらどうかしら、広いわよ」

ルシエラは軽く起き上がる。髪の毛が白い壁の粉塗れになっていた。ジャージも汚れている。

「ルシエラちゃん……動きが軽……」

「体術の応用ね」

狂気の血の能力とは関係無く、ルシエラは体術や剣術も使える。モップではなく必要になってしまったのは、
壁であった瓦礫を取り除くための道具だった。

「剣とか体術とか、出来るんやな。銃とかも使えるんか?」

「使えるけどライフルとか、私よりも上手いのが二人居るし。疲れるから運動は余り好きじゃないけど」

体術にしても素手による近接格闘ならばルシエラ以上に上手いのが二人居る。一通りのことは習わされたのだ。

「好きやないんか……運動……」

「戦うのは好きじゃないのよ……疲れるし」

「……運動って戦闘のことか?」

「そうだけど」

疲れるから運動と言う名の戦闘は嫌いなだけであり、戦わなければいけないときは戦うし、容赦はしない。
遠距離や戦う前から毒を入れておいたり領域操作で相手を潰しておくのが好みではあるが、そうも言っていられないときもある。
訓練と言う名の運動は欠かしていないが、スポーツとしての運動は余りというか殆どしない。
仕方が解らないというのがあったし、今までずっと運動という意味のスポーツをすると言う気持ちも無かったのだ。

「テニスとか、セパタクローとか、運動もしてみようや。テニスは……ラケットとか買いに行こう」

「セパタクロー……あれは面倒そうね。やるなら、身長が欲しくなるわ……ラケットは選ぶの、手伝ってね」

スポーツが運動と教えるようにしながら白石が微笑しながら言う。セパタクローは部活でしているのを見た。
ルシエラは外に立てかけてあったモップを持って来た。

「モップ、どないするんや?」

「壁の残りを砕こうと想って。向こうの部屋、入居者居ないんでしょう」

「居らんとは想うで……部屋がホコリだらけやし。そか。壁を修理しようにもそうしたら寮全体修理になるしな……」

隣の部屋は掃除が適当であった。空き部屋だったのだろう。白い壁はルシエラが寄りかかったところは砕けているが、
まだ残っている。寮を修理するならば建て直した方が速いぐらいだ。

「モップの石突きで突けば壊せるだろうから」

「石突き……柄や無いんか」

ルシエラは白石の言葉を聞いて、彼の方を向く。モップを彼の前に出した。

「これを槍に見立てると、穂先がここ、口金、柄舌、柄、石突き。地面に突き立てる部分で流派によってはここも攻撃に使用する」

「……石突言うんか……知らんかったで」

簡単にルシエラは槍の部分について説明をしておく。
槍で言う柄の反対側の先端、地面に立てる部分が石突きとなる。ルシエラがモップで槍の技を軽くやって、
壁でも壊してみようかとしたとき、部屋に誰かが入ってきた。

「白石部長、ルシエラ……何しとるんっすか?」

「ここが俺の部屋、にしては壁が……」

「財前、と……」

モップを持ったままでルシエラは気配がする方を見た。
そこには財前と、ルシエラが見たことがない青年が居た。身長が高い。ルシエラが知っている四天宝寺の面々で、
一番身長が高いのは銀だったが、銀よりも大きい。

「ルシエラ。コイツがこの部屋の主になる千歳千里や。千歳、今、部屋をモップで拡張中やからな!」

「……白石部長……意味が分からないんっすけど」

「……モップで拡張……」

「貴方が千歳さん? 私は……ルシエラ・ガートルード・ジンガレッティと言うんだけど……」

ルシエラからモップを奪った白石がルシエラがやろうとしていたことを言う。しかし状況を知らない財前や千歳にとっては、
白石が妙な存在に映った。ルシエラは自己紹介をしようとしたが、するべきか悩んだ。



千歳は大阪という地域は九州とはノリが違うのだと実感させられていた。
一年間、大阪で過ごすことを選んだのは自分だ。自分ではあるが寮にて早々、寮の壁をモップで破壊されそうに
なるとは想っていなかった。

「寮の壁壊したら、ただでさえ崩れかけそうな寮が余計に危ないやろう。白石」

「……壊そう、提案したのはルシエラやで」

「お嬢様のルシエラがそう言うの解るわけないでしょう。止めるのが部長の役目じゃ……」

談話室で簡易な自己紹介が行われた後、小石川と財前が白石を注意していた。
千歳は談話室へと移動していた。
大きいソファーには白石が座り、その側には千歳が、小石川は側で立っていたし、ユウジや謙也、財前は
一人がけのソファーに座っている。
自分を迎えてくれたのは西日本大会の時に逢った面々であり、寮にも案内された。
古びた寮であった。財前に部屋の案内を任せて謙也やユウジ、小春は
寮にいるはずのテニス部の者達を呼びに言っていた。どんな部屋かと少し楽しみにしていたら、
自室になるはずの部屋は壁が壁ではなく残骸となりかけていた。

「寮の建て直しは今年中にやらんと危ないやろ……四天宝寺華月とか食い倒れビルとか建てるモンは建てたから寮の方やろうな」

そう言ったのは謙也だ。今年中とは言うが千歳は一年は寮に住まないといけない。

「小春曰く、寮は来年には立て直しするらしいけど」

「地震が来たら終わりやで」

「せやから、建物を潰して新しいのになるな」

金色はルシエラの髪の毛を洗うのを手伝いに行き、居ない。財前がルシエラからモップを取り上げてから、
一氏や金色も来たのだ。事情が話されて、まずは談話室に行くことになり、髪の毛やジャージが汚れたルシエラは金色に言われ、
汚れを落としに行ったのだ。

「俺は一年で寮を出るから……一年は耐えんと」

「一年ぐらいなら持つ……とは想うわ。この建物」

千歳の声に応えるように少女の声が聞こえた。
白っぽかった髪は金色だけになっている。紫色の瞳をした四天宝寺中男子テニス部のジャージを着たルシエラが戻ってきた。
髪の毛の水分はしっかりと取ったようだが、まだ濡れている。

「お湯を出して貰って髪の毛だけ洗ったわ。ジャージは予備のジャージを着て貰ったんだけど」

「小春さん、ありがとう」

「ルシエラは髪の毛が綺麗なのよね」

「みんな、揃ったことやし、これからのことなんやけど……」

小春とルシエラが来たことにより、白石が話し出す。

「千歳さんの部屋はあそこじゃ無くて別の部屋にするのね」

「それが良いっすわ。部屋はまだまだ余っとるし」

「俺もそれが良いったい」

「部屋は千歳はんに選んで貰うべきやろうな」

部屋は自分で選ぶことにした。それが出来るようになったのも壁が壊れたせいだ。財前の言葉に千歳は同意する。
銀も賛成していた。ルシエラも白石も部屋を買えるという思考が無かったようだ。
他の事を話そうとしていると、千歳が持っている携帯電話が鳴った。ディスプレイには千歳家とある。

「電話……もしもし?」

『千兄さん。無事に大阪には着いてるんだ』

声の主は千歳飛駿、千歳の従弟であり真鶴の弟だ。

「寮にも着いたと。部屋は壁が壊されて、別の部屋を選ぶところったい」

『……ボロいっぽいからね。家賃安すぎたし、姉さんとか危ないんじゃないとか言っていたけど住めるなら良いで、
決定したのは、千兄さんだから』

確かにこの寮を選んだのは自分だ。自分ではあるのだが……複雑である。飛駿が壊されたという言葉には触れなかったことを
従兄は長年の付き合いで理解した。

「ミユキは?」

『おばさんたちのところ、これからオレも行く。送った物は全部届いてるか確認して必要なものは通帳に金が入ってるから、
現地調達で』

「お前、真鶴みたい」

『心配なんだよ。家具とかどうでもよく何処か行きそうだし』

千歳には放浪癖があるが、寮の惨事を見てからは放浪癖は収まっていた。まずは自分の部屋を何とかしないと危険である。

「……飛駿、お前は寮の部屋に入ってみたら寮の壁が壊れていて金髪の外人がモップ持って壊れかけた部屋の壁にトドメを
さそうとして、側のテニス部部長が拡張中や! とか笑顔で言う状況に遭遇したらどういう反応を……」

『俺は何も聞かなかった。何もなかったって言っておく。またかける』

嫌な予感がしたのか飛駿は会話をすぐに終えてしまっていた。余り喋らない飛駿だが千歳とではまだ長く会話する。
あの従弟は危機的状況はすぐに察して逃げるか対応するかのどちらかをするが、逃げるを選択したらしい。

「ごめんなさいね。千歳さん、広い部屋にして壁は壊してしまった方が良いと想って……」

「部屋が広すぎても使うの困るやろ。千歳は確かに背は大きいけどな」

「百九十センチは超えてるわね……羨ましい……身長、私も身長は十センチは欲しくて」

「うちは身長が高くなりやすいと。ルシエラも、成長期に入ったら伸びるったい」

謙也がルシエラを咎めている。お嬢様だから日本語が上手いとあらかじめ説明を受けていたが、本当に上手かった。

「さっきのは誰や?」

「弟みたいな奴が電話かけてきて、すぐにどっか行くとか心配されとった」

白石に聞かれて、千歳は答える。飛駿は従弟だ。千歳には妹が一人しかいないが、すぐ近所に住んでいる従姉弟として、
真鶴と飛駿が居る。

「今は行かんのでしょう」

「行かんったい」

と言うか、行けない。

「部屋選びはすぐにすませるか。必要なもんもはよ買わんと」

「謙也はせっかちね」

「急いだ方がええわ。ルシエラ、お前は休んどれよ。力が無いし壁とか壊されたら……」

「あれは寄り掛かったら壊れたのよ。貴方が寄り掛かっても壊れたわよ」

ルシエラは謙也に訴えている。ルシエラと謙也では謙也の方が体重が重い。

「蔵リンも休んでた方が良いわよ。千歳クン。蔵リンはいい人なんだけどたまにハメが外れるから」

「そや。四天宝寺はこれぐらいで引いとったらアカンで」

「これも修行と想えばええ」

「俺としては引けるという感情を大事にして欲しいっすわ」

小春と一氏が、銀や財前が言う。いきなりの寮の洗礼だったが、彼等は悪い人物ではないし、この雰囲気は、前に居た
獅子楽中よりもいいかもしれない。

「白石もルシエラも気にせんと……でも休んどって欲しいし……矛盾しとるったい」

千歳は苦笑半分、笑い半分で告げた。着いていけないときもありそうだが、悪くは無さそうだった。



白石とルシエラは談話室に待機となった。談話室にあった文庫本をルシエラは手に取っている。
書店のブックカバーが付いている表紙を捲る。

「燃えよ剣の上巻ね。司馬遼太郎」

「新撰組の話やったかな……」

燃えよ剣と言われても、タイトルぐらいしか知らない。座っていたソファーにルシエラは再び座ると、ページを捲り始めた。

「千歳さんだけど」

「どないした?」

「中三で一年だけ四天宝寺に来たって、珍しいわね」

読みながらルシエラが白石に言う。
四月になれば白石も千歳も中学三年だ。来年は高校になるが、つまり一年だけの転校と言うことになる。

「お前に話しとくけど、千歳、西日本大会の後で部活中に右目にボールが当たってな。獅子楽中のテニス部、辞めとるねん」

「……テニス選手としては、致命傷じゃないかしら?」

文庫本から目を離し、ルシエラが白石の方を向く。興味が向いたのだろう。
千歳はテニスから離れていた時期がある。離れる原因となったのは部活中にテニスボールが右目に当たったことだ。
人間は左右の目で物体の距離や位置を把握する。片目だけだと判断は上手くいかない。
左サイドが死角になってしまう。

「大阪の眼科に来とったときに俺やオサムちゃんと出会うて聞いたんや」

秋口に千歳が大阪の有名な眼科に行こうとしていたときに白石や監督であるオサムと出会った。そのことで交流が生まれ、
二月の終わりぐらいに千歳がやって来ると言うことを聞いた。

「対決するの?」

「明日には対戦してみたいけど、シングルスで試合はしたことなかったし」

「性能は確かめないと行けないわね」

「実力とか言おうや……」

性能とか言うと機械になったような感じだ。ルシエラは苦笑する。

「癖かも……貴方の前だからいうのかもね。普段は発言は気をつけてるわ」

体が傷つくと言うことはテニスプレイヤーでも致命傷になりうることがあり得るが、怪我が何らかの致命傷になると言うのは、
生きていれば誰にでもあり得る。

(少しは打ち解けて来たんかな……)

白石はルシエラの雇い主とはなっているが、雇い主と殺し屋では壁がある。ルシエラは文庫本を再び開こうとして止める。

「眼のことは私も気を配っておくわ……それと、蔵ノ介、ふと気になったんだけど」

「気になったこと?」

「貴方の左肘の包帯」

ルシエラは白石の左肘に眼をやる。白石の左肘には包帯が巻かれていた。

「包帯? 気にしとらんかったんに、今頃か」

「那岐は日本の大人はたまに中二病とかいう病気にかかるらしくて、怪我もしてないのに包帯を巻いてるとか、やるとか聞いたの。
……貴方は速めにかかったのかと想って」

(中二病って言われても何やその中二病って……でも解る。誤解が生まれとる)

「私も良く聞かなかったんだけどね。中二病……今度、起きた那岐に聞いておくわ」

ルシエラは文庫本をテーブルの上に置くと白石の方に近付いた。

「……包帯の中身、見たいんか?」

「見たいわ。動きからして、左腕自体は問題無く機能してるんでしょう」

「問題は無いんや……包帯の中身やけど……見せるけど、包帯の中身については言わんといてな」

白石は誰も居ないことを確認すると左腕の包帯を解いた。ルシエラは解かれていく包帯を眺めていて、左腕も眺めていて、
表情を固めた。

「蔵ノ介……こんなところに隠し財産を……お金持ちじゃない」

「俺のやないで。オサムちゃんのや。一年の時にオサムちゃんに頼まれてつけろ言われてつけとるんや」

白石の左腕の包帯の下には黄金のガントレットがはまっていた。純金である。
オサムが競馬で当ててきたとかで彼の全財産だ。

「渡邊監督のだったのね。てっきり蔵ノ介、頭がちょっとおかしいのにさらにおかしくなったかと」

「ちょっとおかしいとか……ルシエラちゃんも……ルシエラちゃんはルシエラちゃんやから、治していけば……黄金とか、
売れたら金になるとか想う時もあったけど」

ルシエラも頭がおかしいと言いそうになったが彼女は裏社会の人間だ。裏社会は表とはルールが違うところがある。
ずれても仕方がないと白石は納得しておく。

「値は高く付くけど宝石とか金とかアシが着きやすいから換金が大変なのよね」

「金とかルシエラちゃんも持っとるんか」

「ジンガレッティの財産の一部にはあるわね。腕には巻かないわよ」

換金が大変と言っていたので持っていることには持っているが使ったりはしていないのだろう。白石は包帯を巻き直す。

「包帯の下についてはは秘密やからな」

「念を押されなくても守るわ。貴方が雇い主じゃなくてもさすがに……」

「引いとるやろ。ルシエラちゃん」

「……大阪は恐ろしい土地だわ」

ルシエラは視線をそらせ、呟いた。

「おう。白石にルシエラ、お前等二人きりで、仲ええな」

「渡邊監督」

包帯を巻き終わった白石と席に戻ろうとしていたルシエラに声がかかる。噂をすれば影と言うべきだろうか、オサムが来たのだ。
上機嫌である。

「競馬、当たったんですか?」

「当たったで! 今日の分を埋め合わせて……千歳は来たんやろ?」

「来たんですけど……」

白石は起きたことを話す。オサムは話を聞いた後で被っているチューリップハットを抑え、笑う。

「そら、引くわ。寮も来年に立て直す予定やし、一年は耐えてもらえば……銀も千歳も卒業か」

「立て直すのは本当なのね」

「ルシエラ。みんなをここに集めてくれんか? 呼んできて欲しいんや」

「解りました」

ルシエラが速く立て直すべきよ、と視線で言っていた。彼女はオサムに言われて、他の面子を呼びに行く。
携帯電話を使って謙也か誰かにかけて呼んだ方が速い気がしたが、監督命令だ。

「四月になったら新入部員も入ってくる。千歳が入ったことで戦力の補給になったが、先のこともある」

「まずは地区予選を勝ち進まないことには、一つずつ堅実にやっていきますよ」

白石はオサムから信用を受けて二年の時からテニス部部長をしている。今年こそは全国大会で優勝したい。
勝ったモン勝ちが信条の四天宝寺テニス部だ。やれることはしておくし、やらなければいけないこともする。

「にしてもお前、助けたからもあるけど、ルシエラと仲ええな。青春って感じやで。デートとかしとるんか?」

「デートとか……アイツと俺はそう言う仲じゃ無いですし……ただ、アイツも青春とか経験できてええかなと……」

オサムにからかわれて白石は考えてみる。
ルシエラのことをどう想っているかと言えば、発言が物騒すぎるところもあるが、人間だとか想っている。
好きだと言えば好きだが異性として好きかというと別だ。ルシエラからすれば白石を雇い主だと、
答えそうである。
話から聞いてみるとルシエラは学校生活などを経験したことが無い。白石にとって当たり前のことは
彼女にとっては当たり前ではない。
深く考えすぎると思考の迷路に入りそうなので白石は曖昧に答えておき、考えることを止めた。



ルシエラは音を余り立てずに階段を上ってから、血に意識を軽く集中させて、領域設定をしてから音を集めた。
上に居る者達を探すためだ。領域内の音をルシエラは拾える。やりすぎると耳が痛くなるが、軽くならば、
負荷はかからない。軽く声を聞いたが千歳と小春とユウジと謙也、財前と銀と小石川で別れているようだ。
財前達が居るのはルシエラが壁を壊してしまった千歳の部屋になるはずだった場所だった。
先に千歳達に逢っておこうとルシエラは声のする方向へと行く。
音を立てないように歩いた。能力を使わなくても重心移動で出来る。
千歳達が居る部屋は元の部屋ではない別の棟にあり、掃除が終わろうとしていた。
白石とルシエラが拡張しようとした部屋と同じ広さをしている。

「掃除は、終わったの?」

「終わったわよ。ルシエラ。千歳クンの荷物も運び終わったし」

小春が答えてくれたが小春は割烹着に頭には三角筋をつけてハタキを持っていた。日本のおばちゃん風である。

「掃除用の服に着替えたのね。似合っているわ」

「似合ってるって言われたわ! ルシエラちゃんもメイド服とか着てみない?」

「小春、ルシエラはメイドに仕えられる方なんやで」

(屋敷の方、メイドは居ないんだけどね……)

謙也が言う。
本拠地として使っている屋敷にはメイドは雇っていない。他の屋敷には掃除だけなどで雇っていることもあるが、
メイドは単に自分でやれてしまえるからいらなかっただけだ。
かつての同胞が今、とあるファミリーでメイドとして仕えていることをルシエラは想い出す。
あの狙撃好きなメイドは元気でやっているだろうか。

「白石はどないしたんや?」

「私、呼びに来たの。みんな、渡邊監督が談話室で待っているわ」

「渡邊監督には挨拶しとかんと。今日は後は布団とか買うぐらいにしとくったい。真鶴が物を選んで詰めてくれたから、
楽出来たけど」

「千歳さんには大きな布団がいりそうね。私は小石川さん達にも伝えてくるわ」

真鶴というのは妹か誰かだとルシエラは想いつつ、千歳を見上げる。この部屋に運ぶのはベッドよりも布団だろう。
ベッドを運ぼうにも運ぶ前に床が沈みそうだし、日本の寝具は布団だ。

「ルシエラ、お前が行くと部屋が壊れ……」

「壊さないわ。貴方が行った方が部屋が壊れるわよ」

謙也はせっかちなところがある。壁が壊れたのだって壁の耐久力が低かったからだ。

「ケン坊にはアタシが携帯で知らせておくわ」

「談話室はさっき居た部屋やね。千歳クンや謙也クンは先に行っていて」

「俺は小春と行くで」

小春が携帯電話を出して小石川達にも連絡を取っていた。ユウジと小春を部屋に置いて、千歳達と談話室へと向かう。

「小石川さん達は私と蔵ノ介が壊した部屋を直しているのね」

「妥協案として段ボールとか寮にある板とかでどうにかするとかな」

「あの部屋は確かめたけど壁とか耐久力はあったと。安心ったい」

部屋を選んでいたときに日当たりも考慮するほかに住んでも平気か確認したようだ。階段を下りて談話室へ行く。
少ししてからすぐに他の者達もやってきた。

「全員揃たな。知っとると想うけど改めて言うとくわ。熊本、獅子楽中の千歳がウチに転校するで。テニス部や」

「監督やテニス部や学校には一年間、世話になります」

千歳は標準語に近い言葉で話していた。挨拶だからだろうか。

「でや、本格的な祝いは四月の新入部員が入ってきてからにして、この祝いにはルシエラが来ることと千歳が来ることも入る。
今日はその前祝いってことで、ルシエラ、料理作ってや」

「……私が?」

「料理は出来るって前に話しとったやろ。白石も手伝ってやれや。二人とも壁を壊してしまったし、前祝いの料理で、
挽回ってことで」

「やってもいいけど……材料費とかは」

「競馬で当たった分がある。今回は前回の負けを取り返した上に一部取っといてもまだ余裕あるんやで!」

オサムは自慢げに言っているが賭け事は余りしない方が良い気がするのがルシエラだ。
挽回はしておかなければならないというのは賛成ではある。

「イタリア料理やと、ナ……」

「地方によってバラバラや聞いたことあるけど、ルシエラはイタリアの何処の出身なんや?」

ユウジが言いかけた言葉を財前が止めて、別のことを聞く。ナポリタンと言っていたら笑顔でそれは日本料理と
言ってやるつもりであった。

「北よ。だから、ブラザート・アル・バローロとかリゾットとか作るわ」

「……ぶらざーあるばろー……」

「牛肉のワイン煮込み、イタリアはワインが有名なの」

北イタリアは米を食べるし、牛肉もよく食べる。
財前が言うようにイタリア料理と言っても、イタリアはずっと都市国家として存在してきて統一されたのは最近だ。
日本よりも食事のバラエティは飛んでいるし、各都市で料理の特色がある。

「お嬢様でも料理とかするんか」

「少しはしていたわ(……屋敷じゃ私がしないと誰もしなかったのよ)」

「それなら美味しいイタリア料理食わせてくれや。寮は調理場もあるし」

小石川が珍しそうにしていたのでルシエラは微笑で応対しておく。ルシエラは料理が上手い方だ。

「……調理場を確かめてからにしておくわ」

話し合い、白石とルシエラ、千歳と謙也と小石川で布団を買ったり前祝いの食材を揃えることにして、他のメンバーは
寮の補強と片付けをすることになった。
調理場を確かめたが、料理は出来そうだ。ガス台や包丁やまな板も確かめておいた。鍋なども揃っている。
玄関から寮を出てスーパーやホームセンターへと行くことになった。

「イタリア料理はそんなに種類あるんか?」

「日本で言うと……長崎の料理とか、沖縄料理とか熊本料理とか纏めて日本料理とか和食とか言ってるみたいなもの」

「南ばっかやで」

「テレビで見たの。九州沖縄特集。熊本も見たわ。辛子蓮根」

「辛子蓮根はうまか。俺は馬刺しも好きや」

イタリアと日本は似ているが周囲を海に囲まれている日本と違い、イタリアは近隣諸国の侵略も何度も受けたりしたため、
料理が地方によっては混ざっている。地域によってはアラブや東欧と料理が混ざっているところもある。
白石がつっこんでいるが、昨日、適当に見た番組の影響だ。

「イタリアも馬肉は食べるわね。馬肉の燻製とかサラダにかけると美味しいわ」

千歳が馬肉が好きならば探して調理してみようかとルシエラは考える。

「先にまずは千歳の布団を買ってからにするか。春先に布団が無くて寝られんのはアカン」

白石の意見には全員が賛成だ。あの寮は寒い。あちこちが壊れているせいもあるだろうが、すきま風が厳しい。

「……ところで千歳さん、その下駄なんだけど……かなりの重さがない?」

「これは鉄下駄で重さが片方が六キロあるったい」

「俺も負けられんな……」

「……謙也、妙なところで勝負をしなくても良いわ」

音からして千歳の下駄は重そうだったが、六キロもあった。両方で十二キロである。下駄のせいで千歳の身長は二メートルを
超えていた。この中で二番目に高いのは小石川だが小石川よりも十センチ以上は高い。

「四月に祝いをする言うとったが、その前にボーリングとかもしたいな」

「小石川はボーリング好きやしな」

「それやったら、小春とかはカラオケとか行きたいとか言いそうやで」

小石川、白石、謙也は四月の祝いについて話していた。入部パーティと言うらしい。
ルシエラと千歳がテニス部に入るのは、もう決定事項だ。四天宝寺に入学したり転校したりした後で、入部届を書けば良い。

「俺はボーリングもカラオケも余りしたことはないったい」

「それならどっかで行こうや。ルシエラは……」

「どっちもしたことがないわよ……イタリアにもあることにはあるけど」

謙也に話しかけられてルシエラは答えるが、カラオケは日本発祥だし、ボーリングはアメリカか何処か発祥だ。
イタリアにも伝わっていることには伝わっているが、どちらも聞いたことがあるだけである。
やろうとは言ってもルシエラは日本の歌はろくに知らない。

「カラオケとかルシエラは難しいかも知れんな。ボーリングはでも出来るやろ」

「聞いたことはあるわ。固いボールをピンにぶつけて破壊する」

「破壊せんで!? 倒すだけや」

「ピンを壊していくのがボーリングやったらレーンの掃除が大変ったい」

「千歳、そこは違うやろ!」

ルシエラの言葉に小石川が驚いていた。千歳も会話に加わるがボケだったので謙也がツッコミを入れた。
千歳はこの辺りに土地勘が無く、ルシエラも住んではいるがまだ把握していないところもあり、
店の選択は白石達に任せていた。まず白石達が立ち寄ったのはホームセンターである。
ホームセンターはそれなりの大きさをしていて、ペット用品や木材、DIY用品、インテリアも揃っていた。

「布団は……あそこに売っとるな」

「これ、日本の暖房器具のコタツね」

「コタツは中に入ると出られなくなる魔性の道具ったい」

白石が布団売り場を発見する。
コタツは日本の暖房器具だ。物珍しそうにルシエラがコタツを眺めている間に男性陣は布団を選んだ。
柄もそうだがまずは千歳が寝られるだけの大きさがあるかどうかが重要だ。
大きめのカートを小石川が持って来てくれたのでカートに布団を乗せる。千歳がカートを押した。
会計に布団を持って行くときに小石川がルシエラに話しかけた。

「ルシエラは何を作るか決めとるんか?」

「考えてるわ。代用できそうな食材は代用していくけど、……日本のスーパーにカステルマーニョとか売ってないだろうし」

「……カステラ抹茶?」

「横文字の食べ物ったい。カステラの親戚……」

「チーズ。チーズの一種よ」

カステルマーニョはイタリアのピエモンテ州で作られているチーズだ。生産量が少ない。イタリアはチーズも様々な種類がある。
謙也や千歳は知らないようだが、日本はイタリアよりもチーズの種類が少ないらしい。

「探せばあるやろうけど……探すんはきついやろうからな。カステルマーニョっての、俺はチーズやとゴルゴンゾーラやな」

「ゴルゴンゾーラも良いけどヴェリツィンも美味しいわ。ブルーチーズ好きよ」

日本でも探せば一部の店ではカステルマーニョは売っていそうだが、その一部の店を探すのが大変だ。
ゴルゴンゾーラはブルーチーズの一種であり、世界三大ブルーチーズの一つだ。

「ブルーチーズって、青いんか」

「青カビが生えてるの」

「カビ食うんか!? ブルーベリーとかじゃなくてカビなんか」

「ブルーベリー入れてどうするのよ。チーズは発酵食品よ……」

謙也はブルーチーズについて知らなかったらしい。ルシエラは嘆息する。嘆息しながら作るメニューを決めていた。
話している間に千歳と小石川が布団を買ってしまっていた。

「これで眠るときに寒くない」

「熊本は大阪よりは暖かいのよね」

「南やから。沖縄よりは寒いけど」

千歳が買ったのは布団セット一式だった。掛け布団と敷き布団が入っていて、シーツも別売りのものを買っていた。
シーツも必要だと小石川が勧めていた。布団が手に入ったことで千歳の買い物はひとまずは終わりで、
後は前祝いのための食材を買うだけである。
布団やシーツはホームセンターの宅配サービスがあったので、そこに頼んでおいた。一足先に寮に届けてもらっている。

「大きいスーパーに行こうか。ルシエラの欲しい食材が揃うかもしれん」

白石が教えてくれたスーパーは最近出来たばかりの二十四時間営業の大きいスーパーだった。
駐車場も広いが、店内も広い。入り口で籠とカートを取り店内に入る。ぶつからずに悠々と買い物が出来る通路に
多種多様な食材や少しのスペースではあるが本も置いてあり、花屋やクリーニング店もある。

「……こんな大きなお店が二十四時間営業とか日本はおかしいわね」

「夜中に働いとる人も多いから開いとると便利なんやろうけど」

「熊本に居るときにこの手の店あって助かったと」

夜に働いて朝に帰る者も居れば夜中に唐突に買い物に来る者だって居る。そう言った者達にとっては二十四時間営業の
スーパーというのは便利なようだ。イタリアに住んでいたルシエラからすれば夜中に店を開けているのも地域によっては危険だ。
中に入ると大きめのカートにプラスティックのカゴをを二つほど置いて、店内を散策する。
カートは白石が押してくれた。
最初に選び始めたのは野菜だが、ルシエラは真剣に野菜を眺めては籠の中に入れていく。
タマネギやニンニク、ハーブも入れていた。

「私、蔵ノ介、千歳さん、小石川さん、謙也、財前、師範、小春さんに一氏さんに渡邊監督で十人分作れば良いわね」

ルシエラは人数を数えた。
イタリアで暮らしていた頃は五人分作ればすんでいたが、今回は倍だ。おかわりもあるかもしれないので、
少しは多めに作って置くべきかと考える。

「寮やろ、寮やったら……お好み焼きとかたこ焼きとか作っといた方がええな」

「お好み焼きとかたこ焼き? 私、作られないわよ」

「俺が作るわ。壁のためにいるんや。防御やな」

「……お好み焼きを顔に叩きつけるとか……?」

「それは防御やのうて、攻撃やろ」

「謙也、何か違うぞ! 他の寮生が食いたい言うかもしれんからその分か」

小石川が解説を入れてくれたのでルシエラにも解った。料理は四天宝寺の寮で作ってそこで食べる予定だが、
他の者が来て食べたいとか言ってきた場合、食べさせる分がないのだ。

「寮はOBとかも来るし」

謙也の言葉に白石が預かった金を確認している。

「ルシエラが買ってからでええか?」

野菜を選び終わったので次はワインを選びに行く。ルシエラはワイン煮を作るつもりだ。ワインで肉や野菜を煮込む料理である。
イタリアはワインの産地であり、フランスとも近いためその料理法が伝わっている。

「どっちが好き? 赤ワインと白ワイン」

「……き、聞かれても解らんったい」

「俺等、未成年や。飲めんし」

酒売り場の近くでルシエラは聞いてみたが、千歳も白石も困っていた。彼等は未成年だしワインは飲めない。

「お前の好きな方にすればええで。ワインで煮込むとかオシャレやな」

「別にそうでもなくてね。昔は水がそう安全でもなかったの。でもワインは沢山あったから……」

日本人からすればおしゃれに見えるかも知れないが、イタリアにしろフランスにしろ、ワインは多くあったが、
安全な水が少なかった。安心して肉を食べるにはワインで煮た方が良かったのだ。

「安全の問題か……ルシエラはワインとかは料理に使ったりとかして、飲んどらんよな?」

「……ワインがあったら……」

「小石川、謙也、お前等はお好み焼きとたこ焼きの材料先に集めてきてや。ルシエラのは時間かかりそうやから」

「俺、お好み焼きとかたこ焼きとか本場のに興味ある」

「千歳もそれなら行ってきてや。終わったら集合な」

小石川に聞かれてルシエラが答えを言いかけるが、白石が防いだ。謙也と小石川に指示を出している。
千歳は本場のお好み焼きやたこ焼きに興味があるのか、材料集めが見たいのか謙也達の方に着いていくことにしたようだ。
ルシエラと白石だけになる。

「ワインは美味しいわよ?」

「ルシエラ。未成年や。お前は未成年やで」

白石はルシエラの答えを察したのか、止めたようだ。

「イタリアは十六歳からお酒が飲めるんだけど」

「十六……今のルシエラちゃんは十二歳ぐらいやで」

「……十三歳よ……」

大きな声で言うと目立つので小声で白石は言っていた。
ルシエラは会話をするときは僅かに領域を調整して会話が聞こえないようにはしている。日本では十三歳として通した。
イタリアの飲酒年齢は十六歳からである。ルシエラは以外と酒好きで、ワインはよく飲んでいた。

「酒とか強いんか」

「九番目の血は薬品精製プラントが体に出来るんだけどそのお陰かとても強いわ」

(でも、力落ちた言うから……酒にも弱くなったんや……)

「ワインは飲みたいけど、耐えるしかないわね……お酒、買える?」

薬品精製プラントは作るだけではなく薬品を分解したりすることも出来る。このためルシエラには毒は種類にもよるが、
効かないも同然だ。ルシエラが目をやったのは、プレートだ。内容は未成年には酒は売らない。買うとしても、
証明書が居ると言うものであった。

「料理用の酒なら買えるんや。未成年でもな。飲むんやないんやから。前におかんが友香里に頼んどった」

「それなら買えるわね。赤ワインと白ワインだと、赤ワインにしておきましょう」

調理用の紙パックワインをルシエラは何本か籠の中に入れていた。調理用のワインならば未成年でも購入できる。
飲む目的で買うのは良くないが料理目的として買うならばいいのだ。
白石がカートを押してくれていた。ルシエラは次にパスタを買うことにした。



千歳は謙也と小石川がお好み焼きの材料を集めているを眺めていた。眺めるしかなかった。
最初に彼等は真剣に野菜売り場のキャベツを選んでいた。お好み焼きに入れるキャベツは忍足謙也が言うには、
粉以上に大事であるらしい。隣のおばちゃんもキャベツ選びが真剣だったので嘘ではないのだろう。

(真鶴やかくさんはお好み焼きの粉で作っとったが)

かくさん……母親の熊本弁の言い方……達はIEでお好み焼きを作る時はお好み焼きの粉を買ってきて
作っていたが彼等は小麦粉を買っていた。ベーキングパウダーは寮にあったのを使うようだ。卵も入れている。
その他必要な材料を入れていた。

「こんだけあれば足りるやろうな」

「本場は、よお買うったい」

「白石とルシエラと合流せんと」

「千歳、お前、無言やったけどお好み焼き嫌いか?」

カートは小石川が押していた。謙也に聞かれて千歳は苦笑しながら頭を掻いた。

「大阪のノリに慣れん……」

「そら、しゃーないな。千歳は大阪には来とった言うても、住んどるわけやないし」

「俺等はちょっとしたことでも、ええことなら祭りにしてしまうんや」

騒いでしまうのは大阪の、あるいは四天宝寺の校風らしい。説明の中には千歳に対する気遣いが感じられた。
賑やかではあるが相手のことを考えてはいる。

「嫌いではなかとよ」

「何かあったら俺とか白石や監督に言って貰えれば……俺、副部長やから、俺でもええわ」

「解った」

白石が四天宝寺中テニス部の部長であることを知っていたが、小石川が副部長であることは知らなかった。
存在感が薄い副部長だと千歳は想う。

「蔵ノ介、千歳さんが居たわよ」

「買い物は終わったんか」

店内を歩いているとルシエラと白石と合流が出来た。カートの中に老いてある籠には食材が多種多様に入っている。
離れている間に選ぶに選んだようだ。

「そっちも買い込んだみたいやな。買って寮に戻るで」

「焦らないでよ。買い物は長く並びそうだし、ゆっくりで」

ルシエラが謙也をなだめている。レジは何処も列になっていたが、比較的列が着いていないところに謙也達はカートを押した。
その後ろにルシエラと白石がカートを着ける。小石川が食材を入れるための段ボール箱を何箱か持って来ていた。
店員がレジを初めて、食材が通されていく。
通された食材は籠がいっぱいになれば別の籠になる。段ボールに手際よく謙也や小石川は食材を詰めた。
食材はぎりぎりで買えた。

「全部買えたし、これを寮に運ぶだけったい」

「お前、主役やけど、持ってくれるんか」

「主役やから、準備は手伝わんと」

千歳は段ボールの一つを運ぶことに協力した。段ボールが四つと、スーパーの買い物袋が一つが、買った量だ。

「男四人で持って行ける量やな」

小石川が比較的重そうな段ボール箱を持った。ルシエラがスーパーの買い物袋を一つ持つ。

「ワイン煮とか、楽しみにしていて」

「……ワインって美味いんか? おとんはよお、飲んどったけど」

「好みがあるけれども……」

「帰るでー」

白石が皆を促した。
謙也がワインについて言っていたが、千歳はワインよりも日本酒や焼酎の方が慣れている。千歳の父親は陶芸家で、
知り合いの者がよく日本酒を持って来ていた。
段ボール箱を抱えて、寮へと戻る。大阪の空気は熊本よりも寒い気がした。
空を見上げると、電線に雀が何羽か止まっている。

「寮は無事かしら」

「俺等が帰ってきたら寮が潰れとったー、とか、ありえそうやな」

「初日から部屋が壊されて、驚いたけど寮が潰れるとか、否定出来んったい……。恐」

「無事やろう。壊れたりしたら、携帯に連絡来るやろうし」

「白石……。それは安心出来る言葉になっとらんで」

寮は一年間住まなければならないが、何とかなると言う気持ちでいかないと駄目そうだ。いざとなったら真鶴を説き伏せて、
彼女と共に両親を説得し、アパートでも借りればいい。いきなりアパートを借りたりしないのは、自業自得だと、
言われそうだからだ。
辿り着いた寮は、無事だった。

「おかえりなさい。みんな、千歳クンのお布団、届いてるわよ」

出迎えたのは小春だ。割烹着が汚れてきているのは掃除をしていたからだろう。

「私は調理に入るわ」

「誰か、手伝いはいるか?」

「蔵ノ介、手伝ってくれる? 小石川さんでも良いけど、謙也はせっかちそうだから手伝い向いてないし」

「手伝い向いとらんとか言うな!! 手伝いぐらい出来るで」

「俺が手伝う。小石川はオサムちゃんに指示とか聞いてや」

ルシエラが調理の準備に入ろうとしていた。白石が手伝うことにしたようだ。千歳達は食材を台所に運んだ。
お好み焼きはもっと後に作っても間に合うので、千歳は自室に運ばれていた布団を引いたり、寮の案内をしてもらった。



白石はルシエラが調理をする光景を眺めていた。
手伝おうとはしたが、殆ど彼女は一人で調理を済ませてしまっている。あらかじめ、厨房の中に何があるのかを
確かめておいたからか、手早い。タマネギを切るのも速い。

「一人で料理しとったんか?」

「手伝いは居たわよ。……ワイン煮も二日ぐらい野菜を漬け込んでおくと美味しいんだけど……」

「二日やと歓迎会は終わっとるからショートカットで」

「……これは、二時間以上は煮込むから」

料理番組では二日前につけ込んだものがここに、とかやるだろうが、今回は出来ない。
ルシエラが買ってきたものにはパスタもある。チーズがクリーム状になり真空パックになったものもあった。

「お前も、馴染んできたな。四天宝寺に」

「このことは喜ぶべきかしら……?」

疑問を口にしながら、ルシエラは紙パックのワインを手に取る。封を切り、側にあるコップについだ。

「飲むな」

「舐めるだけよ」

人差し指のワインの表面に軽く浸してルシエラは舐める。

「美味いんか……?」

「調理用ワインだから飲むことで言えば余り美味しくはないけど、危なかったら薬品で誤魔化すし」

「誤魔化すな」

ルシエラなりに調理用ワインで妥協することを改めて納得したらしい。

「四天宝寺は面白いわ」

「学校始まったら、もっとオモロいで」

ルシエラが笑う。
彼女が学校生活を気に入るかは不明だが、四天宝寺は面白いと言ってくれた。面白さや楽しさが少しでもルシエラに
伝染して欲しいと白石は願う。

「千歳さんの歓迎会、成功させるわ」

「主役にも楽しんで貰わんとな」

気合いを入れたのかルシエラは右手の拳を握る。白石はルシエラの料理を楽しみに、歓迎会が成功するように
自分も努力するつもりで居た。


【Fin】

午後は色々はっちゃけたというか千歳弁が上手く行かないなとかありましたが次回更新で入学前編終わりです。それより前に番外あるけど。

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