066 666
いつものように彼は人間を襲おうとしていた。
平和が広がっている世界の一角、日本と呼ばれる国のとある町中で彼はのんびりと歩いている少女を見つけた。
見た目は十代前半ぐらいのまだ子供だった。
絶好の獲物だと見定める。
人間を襲うのは頻繁ではないがやっていたことであった。彼にとって人間は格好の獲物だ。
彼は人間ではなく、悪魔だった。
舌なめずりをして電柱から少女を観察していた悪魔は自らの翼で飛び、少女に狙いを定めて爪を振り上げて、振り下ろして────。
電流に打たれたかのように痺れて、弾かれた。
身体を揺さぶられている。
彼が目を覚ますと、そこは辺り一面の闇が広がっていた。これほどの闇を彼は見たことがない。
「……珍しい。自我が残ってるなんて」
闇の中にいたがその姿はよく見えていた。
彼を見下ろしていたのは十代後半から二十代前半に見える少女だった。艶やかな黒髪が足首の辺りまで伸びている。
瞳が紅い。
着ているのは漆黒のドレスであり、長袖で、肌の露出が少ない。スカートには大きなリボンがついている。
首回りには黒色のケープを巻いていて両手には黒レースの肘まである長い手袋を着けていた。
「ここは何処……あなた様は……」
「……ここは私の中で、私はリア。『カルヴァリア』の<化身>」
「『カルヴァリア』……?」
少女の名はリアと言うらしい。
悪魔は『カルヴァリア』と言う言葉については知っていた。この世界に降り立った救世主が磔にされた丘の名前であり、
髑髏を意味する言葉だ。
「この世界で知られてないの無理はないわね。来たばかりだから……貴方、私の盟約者に触れて弾かれて私に吸収されたの」
「吸収……」
事実を言われて悪魔は彼女の異様な気配を全身で感じ取った。
リアはただ、こうして立っているいるだけなのに震えが止まらない。悪魔はこの瞬間に全てを悟る。
私にの盟約者に触れたと言うことは少女はこの『カルヴァリア』を宿していたのだろう。気がつかなかった。
気配を完全に沈めていたらしい。
『カルヴァリア』が何なのかは知らないが、これだけは言えた。
─────────悪魔は襲う相手を間違えたのだと言う事を。
「事故だったから。本当は消えちゃうはずだったのに残るなんて運がいいわね」
「良かったんですかねぇ……」
「普通は消えたことも解らずに消えるみたいよ……?」
闇が開け、そこには天高くにまでそびえているいくつもの棚と棚の一段一段にぎっしりと詰まった本が現れた。
図書館のような場所にしたらしい。
いくつもの灯りがついている。
リアが人事のように言っているのは、起きた出来事に気がついて始めてこうあったと認識されると言う事だろう。
取るに取らない相手と言う事だ。
本に囲まれていた悪魔だったが、本に眺められ続けて、あることに気がつく。
朱い本、青い本、黒色の本、白色の本、ページ数も形もみんなバラバラなのだが、ある共通していることがある。
「これ……全部……」
「ちゃんとした魔導書みたいなのもあるけど、そっちは別のところにあるわ。貴方が察したように魂よ。これ」
その共通点というのは人間の匂いがすること、まるで人間を本にしてしまったかのような……実際に人間の魂を本にしたものが
図書館の本の正体なのだろう。何冊あるか悪魔は数えられない。
それほどまでの魂を彼女は喰らい続けたのだ。
「あっしをどうするつもりで」
「……どうしよう?自我が残るってこと、滅多にないのよ」
「武器になることも出来ますが……」
「私、武器は事足りているのよ」
本当にリアは処分に困っているようだった。どうでもいいと言うようにも態度が取れるが、悪魔としては困っていると
想うことにした。悪魔の能力としては身体を武器に変えることが出来るというものがある。
直剣ならば何でもなれたがリアは軽く空間に手を触れる。空間を書き換えるようにして出てきたのは銀色の大鎌だ。
「喰ったのは魂じゃなかったんですね」
「武器とか色々食べた。鎧とかの防具は無いけど……まあいいや。貴方なんて後でどうにでもなるし、好きにして……
下僕に押しつけようかな……」
大鎌を消す。
リアは好きにしてと言っているが悪魔に自由はない。リアはあっさりと悪魔を消せるのだ。話からして悪魔の自我は残ったが、
魔力の大半は……ほぼ全部は吸われてしまったのだろう。
虚空を見上げるとリアは何かを伝えているようだ。自我は消されないで居るらしいと悪魔は安堵した。
先のことは全くと言って良いほど不透明だったが。
「バトラー、バトラー、お茶とケーキを頂戴」
「かしこまりました」
恭しく悪魔は一礼する。
悪魔は人間の姿となっていた。灰褐色の肌をした黒髪に赤目の姿である。被っているからリアに変えろと言われたが、
変える能力はなかった。
アンティークの長椅子に座り、リアは暇そうにしていた。
リアは人間の魂を本にしている割には本には殆ど触れていない。彼女が言うには読み手は別にいて、
自分はいくらでも寝たりすれば暇が潰せるのだそうだ。
そうは言っているが暇だと何度も言っていることもある。この世界は『カルヴァリア』の内面世界であり、
内装はリアの自由だ。人間の魂を本にしているがそれ以外にも出来るらしい。
『カルヴァリア』の内面世界の全てを悪魔は知らない。知らなくても良いことがこの世にはあるのだ。
あまりにもここは広すぎる。
お茶とケーキをどう用意すればいいのかと言えば内面のイメージを拾ってくるだけだ。
リアにとってはごっこ遊びのようなもので、お茶を飲もうがケーキを食べようが満たされることはない。
彼女が満たされるには魂を食すしかない。
テーブルの上に紅茶とケーキを出す。
「……666は悪魔の数字……この辺は下僕が詳しいんだけど」
「彼はカバリストですからな」
「師匠は何でもできた奴だったんだけどね……話し手は人間を表す数字だって知っているのかしら」
外の会話をリアは聞いているらしい。
666の話題になっているようだ。外ではオカルトの話がされているようだった。666は海外では悪魔の数字とされている。
下僕というのは悪魔の持ち主である。あの後でとりあえずは、とリアが下僕と呼んでいる青年に渡されたのだ。
青年もリアの盟約者もそうなのだが特殊だった。
あの時から時間が経過して悪魔もこの場に馴染んできたところである。
「”Here is wisdom. Let him that hath understanding
count the number of the beast: for it is the number
of a man; and his number is 666.” 」
「ここに智恵がある。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。その数字は人間をさしている……その数字は666」
悪魔の英語をリアは訳す。ヨハネの黙示録の一節だ。
「何故そんな話題を」
「暇だから……ゼレフェスト」
暇は誰にでも襲いかかるらしい。
リアは唐突に悪魔の名を呼んだ。ゼレフェストは肩を振るわせる。リアが相手の名前を呼ぶことは殆ど無い。
適当に名前を呼ばないようにしてどうしても必要に狩られればフルネームで呼ぶ。
「何でしょう……」
「寝るわ……」
リアは長椅子に身を預けると眠り始める。
ゼレフェストは毛布を出すとリアにかけた。寝ている間やることもないが、ゼレフェストも退屈には慣れている。
紅茶とケーキは完食されていたので彼は皿を消した。
最後にされていた話題を想い出す。
666はオーメンと呼ばれる数字でもあり、オーメンという言葉は良くないことが起きる前兆という意味だ。
ゲマトリアという方法で聖書の原初であるヘブライ語を解読すると、クリスチャンに迫害を加えた皇帝ネロが666に
なるとされている。
『カルヴァリア』は彼女を縛るためにつけられた名前であり本当のところは何の名前なのかは不明だ。
この世の終わりに現れる悪魔は666という数字を背負っているらしい。
(考えるのは辞めますか)
ゼレフェストが一つだけ言えることがある。
長椅子で眠る少女はとてつもなく恐ろしいが、暇なときは大人しい、と言うことだ。
【Fin】
オーメンの話題はこじつけです
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