085 コンビニおにぎり
窓がない部屋に二人の少女はいた。
蛍光灯の灯りが部屋を照らし、壁も白く、天井も白い。
病室を思わせる部屋の床には写真集や絵本がページを開いた状態で置かれている。
それ以外には部屋には簡素なベッドぐらいしか置かれていない。
少女は二人とも金髪だったが、髪を弄っている方の少女の瞳は紫色で弄られている少女の瞳は銀色だ。
銀色の瞳の少女は大きめの丸い手鏡を持っている。二人の顔が映っていた。
「出来たわよ。アスカ」
「ありがとうございます。姉さん」
ルシエラ・フラガラッハはアスカと呼んだ少女の髪の毛から手を放した。アスカの髪の毛は右頬にかかる髪が
三つ編みに編まれていた。先端はゴム紐で留まっている。
「訓練はしばらく無いみたいだから、ゆっくり出来るわね」
「姉さん、仕事は」
「分からないわ。他のみんなは?」
アスカは訓練ばかりであり仕事はルシエラの記憶している限りではしていない。
訓練とは言え、怪物化した者を殺したりはしているはずだ。アスカがルシエラの方を見て表情を曇らせる。
仕事になれば大人か、年齢が上の者が呼びに来る。
「顔は見てませんけど、仕事や訓練って聞いてます」
「いつものことか……」
自分達がやっていることと言えば上が必要だと思ったことを学ばされていたり、実験や訓練だ。
二人が話していると、ドアがノックされる。
「アン。居るかい?」
「……ヴァル兄さん……」
「しばらくしたら、また帰ってくるから」
か細い声でアスカがドアの向こうにいる者の名を呼んだ。
気遣いながらルシエラはアスカに手を振ると、ドアの方まで近付いてからドアを開ける。
見上げると、黒髪と青色の瞳があった。
ルシエラよりも五歳以上は年上の青年が立っている。見上げることを止めてルシエラは廊下に出てドアを閉じた。
青年の方を向く。
「仕事だよ。言わなくても分かっているだろうけど」
「私と、ヴァルだけ?」
「他は転戦してるよ。今、居るのは僕たちとアスカ、レーヴァぐらいだね」
アスカについて触れないのは彼女はまだ実験が上手くいってないからだ。戦力としては数えられていない。
戦闘能力は付いているが、上が望んでいるところまでアスカは達していないと言う。
何を上が求めているかは知らない。ただ、求められているものは剣王によって違う。
剣王が十、アスカロン――通称アスカはルシエラにとっては妹のようなものであり、出来る限りのことはしたかった。
彼女は戦いには向いていないが、戦ったり実験を拒否してしまえば、殺されてしまう。
彼の情報の方が最新であるとルシエラは想い、気がついたことを口に出す。
「……アスカに会わない理由が分かったわ。貴方にとっては連戦になるのね」
隣の青年からは濃い血の臭いがした。
彼は答えず、ただ笑うだけだ。
剣王が五、ヴァルムンク、奇数番である彼は近接戦闘が得意だ。その両手で敵を打ち殺して来たのだろう。
アスカは血の臭いに自分以上に敏感であり、怯えさせてしまうだろうから、出来る限り逢わないようにしたようだ。
シルヴィオと言う名も彼は持っているが、剣王内ではヴァルと呼ばれている。
「偶数番は血の活性化の問題があるからね。奇数番が連戦するのは仕方がないことだよ」
「クラウもユースも、レイもティルもこき使われてるのね」
血の活性化――狂気の血に覚醒した者が必ず抱える問題だ。狂気の血は使えば使うほど活性化する。
活性化した状態で使える力もあるが、長く活性化し続けていると怪物になってしまう。そうなれば後は殺されるだけだ。
「レーヴァに逢っていこうか」
「……逢って良いの?」
「遠慮しなくて良いんだよ。君は好きな人ほど近寄らせないようにするんだから――」
ルシエラが憧れ、尊敬する彼女の愛称を彼は言う。仕事に出る前の僅かな時間、彼の気遣いでルシエラは
剣王が二、レーヴァティンに逢えることとなった。
昔のことを回想してしまうと、手が止まってしまう。
ルシエラ・ガートルード・ジンガレッティはヘアーブラシを手に握ったままで、長方形型の卓上鏡を眺める。
かつてよりもくすんでしまった金髪と変わらない紫色の瞳、目を一度閉じてからルシエラは気持ちを切り替えた。
鏡の隣にあるシンプルな置き時計は午前八時になろうとしている。
忍足家に居候を始めて何日かが経過した。この家の人達は良くしてくれている。
髪の毛を整え終わったルシエラはジャージに着替えた。四天宝寺の制服は近いうちに作るつもりだし、
入学手続きも忍足家がしてくれるらしい。
(考えなければいけないことは……)
学校のこともあるが、どう戦闘能力を取り戻していくかもルシエラにとっては大事なことだ。
血の力も落ちているが身体能力も落ちている。ファルソファミリーとの戦いだって、
薬品精製能力で自分に能力上昇の薬品を入れたり、切り札を使って終わらせている。
切り札の方も以前以上に何度も使えるものではないし、そんな戦闘になるのも困るが、万が一のこともある。
身体を鍛えなければならなかった。
問題としてルシエラは病弱として通ってしまったので、運動をするにしても慎重にしていかなければならない。
時計をもう一度眺めてからルシエラは部屋を出た。
忍足家は二階に子供達の部屋がそれぞれある。
ルシエラが借りているのは、一番奥の部屋で物置として使用されていた部屋で、家具を運び込んで部屋らしくした。
「まずは――」
呟いて、部屋を出る。
すぐ近くの部屋のドアノブを手に持って捻る。雑誌が床に無造作に置かれていて踏まないように、
気配を出さないようにしながら、ルシエラはベッドで寝ている少年を見下ろした。ブリーチされた茶色い髪の毛が、
ぐしゃぐしゃである。シャワーを浴びてすぐに寝てしまったからだろう。
「Si svegli presto.」
青年の耳元でイタリア語で言ってみる。
”時間なので起きろ”と言う意味だが、寝ている忍足謙也は反応をしない。寝息を立てている。
昔に誰かを起こしていたときは武器を使っていた。殺意を込めて剣を振り下ろしたりすれば、目覚めて剣を
受け止めていたが、謙也は一般人だし、そんなことは出来ない。
ルシエラは謙也の頬を軽く叩いてみる。
二十回ほど叩き続けると謙也は目を覚ました。
「……ルシエラか……俺を起こしに来るとは……俺がそんなに信用出来んのか」
「準備は余裕を持ってするものよ」
謙也は起きればすぐに動ける。寝起きは悪くはない。
テニス部では『浪速のスピードスター』と言う異名を持つ謙也は何事もスピードにこだわる。
しかし、彼はスピードがあるからとぎりぎりまで寝ているということを良くやる。
「昨日はユーシと電話しとって、アイツと会話しとると時間忘れるわ」
「貴方の従兄だったわよね……」
ユーシとは忍足侑士のことであり、同じ年の謙也の従兄であるとルシエラは謙也の弟である
忍足翔太から聞いていた。一週間のうち、二、三回は電話で話しているそうだ。
「逢える機会があればお前にも逢わせたり、話とかさせたいけどな。お前に興味持っとったわ。お嬢様でイタリア人で世間知らずとか」
「世間は知っているはずよ」
「でも、ずれたところあるからな。お前は」
謙也は起き上がるとルシエラの頭に手を置いた。謙也は日本に不慣れである気を使ってくれるのは良いのだが、
ルシエラを子供扱いする。子供扱いというかルシエラは謙也よりも年下と言うことになってしまったので、仕方ないと言えば
仕方がないが、ルシエラは不服だ。
「……私の方は準備が終わっているし、待ってるから」
ルシエラは部屋を出る。
先に朝食を食べておいてから、謙也と共に四天宝寺中へ向かうのが、このところのルシエラの朝だ。
日本の風習には少しずつ馴染んでいるつもりだが、日本とイタリアでは違いが多々ある。夕食だってイタリアでは
夜八時辺りに取るのに、忍足家では全員が揃ったら……午後六時や七時に取っていた。
部活に行くまでは余裕がある。準備されていた和食の朝食を食べてから、謙也と共に四天宝寺中へと向かう道を歩く。
「体の方は調子ええみたいやな」
「良くなったし、安心よ」
「春先とか寒いから、体調が崩れやすいんや。イタリアの春ってどんな感じや?」
「Marzo marzo pazzarello,vedi il sole prendi l'ombrello」
聞かれたのでルシエラはイタリア語で答える。
「……お前は日本語上手いけど、こう言うのを聞いとると異人や……とか想うで」
「意味としては、三月は狂った天気。太陽が出たら傘を持っていけって感じ」
「その手の言葉……日本語にもあった気がするで。天気が崩れやすいんやな」
「イタリアの春と言うと言葉が広すぎて一概にこうとは言えないけど、北は雪が降ってるけど中部や南は花盛りね」
「そう言われると、日本もそうやな」
日本だって北海道から沖縄まで、本州も季節が違いすぎる。
大阪の空気は肌寒いが、イタリア北部ほどではない。
息を吸うと冷たい空気が肺に流れ込んでくる。このところ、大阪の天気は晴ればかりだ。
通学路は人が少ない。ゴミ捨てに行く主婦や遊びに行こうとしている小学生とすれ違ったりはしていた。
日本の風景も見慣れてはきた。
「ルシエラ。謙也、おはよう」
「蔵ノ介。おはよう。今日は少し、遅めなのね」
歩いていると白石蔵ノ介がテニスバッグを右肩に担ぎながら、自転車に乗っていた。ブレーキを操作して自転車を
止めると、自転車から降りた。
白石は男子テニス部の部長であり、部活にはかなり早く来ている。
「今日は小石川が鍵当番やからな」
小石川健二郎はテニス部の副部長であり、頼りになる。
「小石川が部室を開け取るとは言え、速めに行かんとな」
「走るの?」
謙也はせっかちだ。
『浪速のスピードスター』という異名を持ち、テニスでもそのスピードを生かしたプレイをしているが、生活面でも
スピードを重視している。食事を食べるときだって早すぎるし寝付きも早い。
「それやと、お前を置いて行くやろ。あるいは白石の自転車に乗せてもらうとか」
「嫌。それをやるなら謙也の上に乗るわ」
「オレがお前を背負って走るんかい!? そんなに自転車嫌いか」
「蔵ノ介が悪いのよ」
ルシエラは自転車の二人乗りはしないことを誓った。
白石の自転車の後ろに乗ったことはあるが、気分が乗った白石は警察官に追われても走り続け、しまいには歩道橋の階段の
上も自転車で上って行った。
「今度はそんなことはないで。俺の気持ちは穏やかなんや」
「する気無いわよ。それをするぐらいなら走るわ」
「お前は病弱なんやから、運動はちょっとはしたほうがええやろうけど、体力とか無さそうやし」
「運動ね……した方が良いんだけど……前はしていたんだけど」
白石とルシエラが話していると謙也が割って入る。
速度に関して言うならばルシエラはそれなりに速い。
テニス部のマネージャーの仕事をしながら、謙也のことは観察したが、謙也は短距離ならば非常に速いスピードで走れるが。
バランス感覚がなかった。ロケットのようなものである。
ルシエラはバランス感覚はある方だ。スピードならば謙也に負けるだろうが、バランス感覚では負けない。
「運動なら、テニスとかやってみんか? ルシエラ」
「選手として活躍するとか無理よ」
「趣味とかでやるならええやろ。俺が教えたる」
運動はしていたと言うが戦闘のために体を鍛えていると言った方が正しく、スポーツはルシエラは余りしたことがなかった。
テニスもそうだ。疲れるから運動は嫌いではあるが、体は動かしておきたい。
白石が自転車を押しながらルシエラを誘う。
「……やってみようかしら。でも、やるのは遅すぎない?」
「そんなこと無いで。財前とか、中学入ってからテニスとか始めたし、中学校やと、新しいことやろうかとかで、
部活を選ぶとかの方が多いんや」
小さい頃から色々とやっておくべきだというのがルシエラの考えの一つにある。これは彼女が陥った状況に起因していた。
白石が丁寧にルシエラに教えているがこれはルシエラが日本の状況を知らないのと、一般的なことには余り詳しくないから、
言っておくというのがあった。
「やるんやったら、道具とか揃えなアカンな」
「そんなに急いでやらないわ。他にやることはまだまだあるもの」
テニスならば良いだろうと謙也も想っているようだ。今日すぐにテニスをルシエラは始めたいわけではない。
それよりも優先でしておかなければならないことはいくつかあった。
ルシエラが白石や謙也と共に四天宝寺中男子テニス部の部室に入ると小石川健二郎が壁に色紙を止めていた。
正方形の白い、ボール紙で出来たサインをしたりする色紙だが四天宝寺中での部活では、部日誌として使われているようだ。
日々の部活の記録を書く部日誌ではあるが、一般的には部日誌用のノートに書いたりしている。
教えてくれたのは白石で、彼はルシエラに一般のことと、四天宝寺のことを分けて教えてくれていた。
色紙はルシエラも書き込んだが、他のテニス部部員がコメントをつけたりしてくれていた。
「小石川さん、色紙の整頓をしているの?」
「ルシエラか。オモロい奴を貼るようにはしとるが、定期的に変えんと壁が埋まるからな」
「誰かがポスター貼ったりするしな。お笑いライブのポスターとか」
「……部室に貼ってどうするのかしら……」
小石川は四天宝寺中男子テニス部の副部長であり、ルシエラも世話になっている。解らないことがあればすぐに
教えてくれているし、白石やテニス部の顧問である渡邊オサムの補佐もきちんとしていた。
謙也が壁を軽く拳骨で叩いていた。
お笑いライブのポスターを貼るならば部室に貼るよりも、四天宝寺中の校内にある掲示板に貼った方が、
宣伝効果がある気がした。
他の部員はと言うとまだ来ていないようだ。
「白石。渡邊監督からやけど、今日ぐらいに千歳が来るらしいから、補佐頼むって」
「千歳がか、寮に入るんやよな。そうしたら師範にも話しとくか。オサムちゃんは……」
「宿直室に居ったわ。競馬でか麻雀でスッたみたいで、空腹そうやったから、朝食のサンドイッチを差し入れたわ」
「……オサムちゃん、たまにこういうことあるよな」
千歳というと、聞いたことがあった。九州の強いテニスプレイヤーらしい。四天宝寺に来ると言っていたが、
今日のようだ。千歳の話題はそこそこになり、男性陣の話題はオサムの方に向かった。
競馬新聞を読んでいるオサムをルシエラは何度か見たことがある。白石と謙也がオサムを心配していた。
「寮って、四天宝寺にあったの?」
「あるで。ちょいボロボロやけど、うちやと、師範とか入っとるな」
「師範が?」
「銀は東京出身で、四天宝寺にはテニスの特待生で入っとるんや」
(関西弁だったのに東京の人だったのね……)
四天宝寺に寮があることをルシエラは始めて聴いた。
小石川や謙也が答えてくれたが、寮のことよりも銀が東京の人であることの方がルシエラの興味を引いた。
銀はテニス部の中では落ち着き払っている人であり、謙也のダブルスの相方だ。
身長がテニス部内では一番高い。
「俺、オサムちゃんの様子見てくるわ。千歳についても話とかなアカンから」
「渡邊監督、まだ何か食べた方が良いんじゃないかしら。食事と睡眠は取っておかないと駄目よ」
「テニス部の部費の一部を削ってオサムちゃんがこうなったときの救済資金はためとるんや」
「……蔵ノ介……学校をよく知らない私でもそれは何かあっているんだけどずれていると想うの」
白石が対処をすぐにしている辺り、オサムはたまにこういった状況に陥るらしい。
「謙也、宿直室に一緒につきおうてくれ。買い物を頼むわ」
「ええで。コンビニぐらいひとっ走りや」
「日本のコンビニは便利よね……イタリアだとローマとかしか無いわ」
「イタリアは田舎なんか……」
二十四時間営業のコンビニなどイタリアには滅多には無い。ルシエラは謙也の方を見た。
「……タバッキならあるけど、元々日本とイタリアじゃ生活形態も違うし、イタリアは保守的なところがあるから、
コンビニが入らないし、治安も悪いから、自動販売機だってお金が盗まれるを理由で檻に入っているのよ」
タバッキとは雑貨専門のイタリアのコンビニだ。イタリア人は何件かのタバッキを知っていてそこで細かい雑貨を買う。
治安について言えば良くなってきているところはあるが日本に比べたら悪い。日本が安全すぎる共取れるが。
「檻の中の自動販売機とか……使いにくくないか?」
「使いづらいわよ」
謙也が想像してみているが、自動販売機が犯罪でもしているかのような様子だと想っているようだった。
日本が二十四時間営業の店が多すぎるだけであり、外国に行けばそんなにはない。治安や宗教の問題があるからだ。
使いづらいが自動販売機で飲み物を買いたいこともあり、置いてあると言うのがイタリアだ。
「ルシエラは小石川の手伝いしとってや」
「渡邊監督に、賭け事は程々にと伝えて。やるなら臓器とかかけちゃ駄目よとも」
白石は自分と謙也でオサムのところへ行き、ルシエラは部室に置いて行くという考えのようだ。ルシエラは賛成すると、
オサムへの伝言を頼む。
「お前な、ルシエラ、漫画みたいなことを言うな」
(……実際にあるんだけど)
ルシエラが伝えようとした言葉は謙也からしてみれば冗談に聞こえたのだが、ルシエラとしては本気なところがあった。
彼女は裏社会に居た。裏社会の賭け事というのは賭けられるものはなんでも賭けたのだ。
「伝えとくわ」
微苦笑を見せた白石が謙也と共に部室を出る。部室には小石川とルシエラが残された。
「他の部員はまだなのね」
「もうそろそろ集まり出す時間や。……そや。師範にも連絡を取らんと」
小石川は携帯電話を取り出す。
白石も気配りが上手いが、小石川も上手い。連絡というのは速めにしておくべきだとはルシエラも想う。
耳に携帯電話を当てていた小石川だったが話もせずに携帯電話のボタンを操作していた。
「連絡が取れないの?」
「電波が届かん言うとったから、裏山で滝に打たれとるんかな」
「裏山とかあるのね」
「四天宝寺は意外と敷地とか広いんやで」
(学校の中にも華月とか食い倒れビルとかあるし……)
ルシエラが知る四天宝寺中の敷地はグラウンドや校舎や部室などだ。学校というのは皆こんなに広いのかと考えたが、
かつて見たことのある並盛中はそんなに大きくなかったことを想い出す。
「師範は滝に打たれようと想えば一日中とか打たれとる。呼びに行かんと、今日はフリーの試合練習やし」
「小石川さん、私が呼んできましょうか? 大体の位置を教えて貰えれば行けるから」
「ルシエラがか……裏山は道はあるけど、行けるか……」
「裏山には行ってみたいし、入学する前に見られそうなところは見たいの」
「それなら、簡単な地図なら書くから頼むで。俺は部室を離れられんし」
四天宝寺の練習は練習メニューによっては出なくても良いが、フリーの練習試合は実力を確かめたり、
磨いたりするためには出た方が良い。小石川は渋っていたようだがルシエラは言葉で押した。
机の上にあるいらない紙の上に小石川は裏山の地図を黒の油性マジックで簡単に書いてくれた。ルシエラは受け取ると、
小石川から裏山の方向を教わってから、部室から出て、裏山の方に行く。
今は春休みで他の部活も練習に来ているようだった。サッカー部やアメフト部の生徒とすれ違う。
裏門から少し歩いて、裏山に入る。裏山は校舎から離れた位置にあった。
人が二人分歩けるぐらいの道が上の方へと延びている。ルシエラは小石川からもらった地図を眺めたが、
滝は頂上近くにあると書いてあった。
道は舗装されていないが、歩きづらくはない。人の気配は感じない。ルシエラは頂上近くを目指し、歩き出した。
(能力……使ってみようかしら……領域操作の方)
ルシエラの狂気の血にどの能力が残っているのか、確かめきれないところがあった。
領域操作というのはルシエラの能力の一つで、自身が領域と認識したところに因子をばらまいていてそれにより、
範囲内ならば自由に領域を操作出来るという能力らしい。
らしいが着いているのはルシエラもいまいち、解っていないからだ。因
子をばらまいているとは言うが領域を操るときは彼女はその範囲を見たり、感覚的に領域だと認識しているぐらいである。
狂気の血で今のところ判明している十三の能力のうち最も謎なのが領域操作であるとは言うがその通りだった。
確かめられたのは領域を不可視にしてしまう能力だったが、これは精度が落ちすぎていた。
白石に発見されたからである。白石は能力は使わないで欲しいと言っていたし、自分が許可を出してからと言っていた。
「……薬品精製に比べるとやれることは攻撃面だと雨粒操って叩きつけたり、地面割って相手を落としたり……」
する程度なんだけど、とルシエラは呟く。白石がいれば何処がその程度や! と言われそうではあるが彼女は気付いていない。
補助ならば領域内の音を全て聞くことが出来たり、因子を撒くことで情報を検索したりなども出来た。
問題として血の力を全て確かめるには血を活性化させなければならないる。それは怪物に近付くのと引き替えの行為だ。
「ルシエラ!!」
人の気配がしたので振り向く。ルシエラの名を呼んだのは財前光だった。肩にテニスバッグ、手にはリュックサックを持っている。
「財前……?」
「小石川先輩に聞いて、来たんっすわ」
どうして財前が来ているのかということをルシエラが疑問に想っていると財前が答えた。
部室に来た時に小石川からルシエラのことを聴いて、裏山に来てくれたらしい。
「蔵ノ介と謙也は渡邊監督のところよ」
「部長と謙也さんじゃなくてルシエラに用事があって……これを」
財前は持っていたリュックサックから、箱を取り出した。
取り出されたのは直方体をした透明のケースであり、ルシエラにはこれに見覚えがあった。中には緑色の髪をした
ツインテールの少女のフィギュアが入っている。
「昨日、私があげた初音ミクのフィギュア?」
「返すっすわ。俺、大したことはしてないのにこんな高いもの貰うんわ……」
「高いかしら」
「……高い……お礼とかは良いんで……」
部屋の家具を揃えたり家電を揃えられたのも財前が店を紹介してくれたからである。お礼にとルシエラは初音ミクが
好きな財前にフィギュアをあげたのだが、財前はフィギュアが高いと言っていた。
初音ミクのフィギュアは塗装費などを含めると一万円を二枚ほど使っておつりを貰った。
「解ったわ。でも、出来ることがあるなら言ってね。尽力はするから。これは……部屋に飾っておけばいいわね。人形だし」
「人形とか好きっすか?」
「好きよ。ぬいぐるみとか集めていたわ」
フィギュアは部屋に飾っておくことにした。買うときに直射日光には余り当ててはいけないと聞いていたので、
日陰に置いておこうとは想う。ルシエラは少女趣味な所があり、本拠地の自室にはぬいぐるみが沢山置かれている。
忍足家の部屋にも置きたいところだ。
「フィギュア入れるときこれ使ってください。それとフィギュアのことはばらさんように」
「財前のお嫁さんについては言わない方が良いのね」
「俺の嫁ってのは日本語の一つで、自分が好きなキャラクターに使う言葉というか……」
そうなの、とルシエラが頷きながら言う。日本語は理解出来るのだが、俗語になったりすると、解らないところがある。
「初音ミクは歌うパソコンのソフトだって聞いたわ。日本には凄い技術があるのね」
ルシエラは最新技術には疎い。苦手としている。そう言ったことは出来る者に任せていた。
簡単な操作は可能だが、難しい操作になってくると能力を使ったりするし、知識も大雑把だ。
「ネットとかパソコンとか疎い方っすか?」
「……得意じゃないわね……興味はあるけど」
「ミクとか動画で歌とかアップロードされてるんっすわ。聞いてみます?」
「聞いてみたいわね。音楽とかクラシックばっかりなのよ。たまに勧められたアーティストの歌を聴くぐらいで」
「お嬢様や……ピアノとかヴァイオリンとかも……」
財前の呟きにルシエラは一度大きく瞬きをした。クラシックばかりを聴いているのは趣味と言うよりも、
かつての生活でそれぐらいしか聞くものがなかったため、聞いていただけである。
「そこそこに弾けるわ」
「……お嬢様っすね」
「……教養の一種で憶えたのよ」
教養を憶えさせられたのは貴族社会で使うためだ。組織の教育方針は謎なところがあったが、ルシエラは教養は身につけさせられた。
ピアノとヴァイオリンならばピアノの方が好きである。憶えたと言うよりも憶えさせられたの方が正しいが、
ルシエラは言い直さない。
「師範を迎えに行くんっすよね。俺も着いていくっすわ。一人やと、危ないし」
「平気よ。一人でも迎えに行けるわ」
危険があろうともルシエラはどうにかなる。裏社会の者が関わってこなければルシエラは今の状態でも十分にやっていけた。
しかし、そんなルシエラに財前は真剣な顔で言う。
「……ここは四天宝寺。笑わせたモン勝ちをスローガンにやっとる学校――。外とは常識とか違うっすわ」
風で周囲の木々が揺れる。常識が違うと言うのは白石から教わっていた。財前が真剣に言っているところからして、
他とは違うことが四天宝寺にはありすぎるのだろう。
「(財前に話を聞いた方がいいかもしれないわね……教科書の話もしておかないと)着いてきてくれると、助かるわ」
こうして、ルシエラは財前と共に、銀を迎えに行くこととなった。
「……あれ?」
同時刻、ディオニージ・ドゥリンダナは携帯電話を耳に当ててから離した。電話の相手に電話が通じない。
”おかけになった電話番号は電波の届かないところにあるか、電源が入っていません”と聞こえる。
「ディオ。電話か?」
「知り合いにかけたんだが通じなくて……またかけ直さないと」
ホテルの前でディオは電話をかけていた。迎えに来た相手の問いに答えながら携帯電話を操作してから、
ポケットの中に入れた。騒がしくなってきた町並みを眺めると、知っている者が来た。
軽く手を上げておく。
「学校は始めてってお前やお前の雇い主が言うとったが」
「通うのは初めてだね。前に潜入してぶち壊したことはあるけど」
待ち合わせの相手が丁度来たのでディオは受け答えをしながら、待ち合わせの相手と共に歩く。テニスバッグを持っていた。
彼とディオは同じ服装をしていた。ディオが彼の服装に合わせたのだ。着ているのは学校の制服である。
ブレザーだった。
「入学手続きとかはやっとるんじゃろう」
「雇い主、日本に行くって言っていたし……並盛でトラブルを起こされると困るんだけどね」
「お前さんを案内すると言っておけば真田も誤魔化せる。練習も大事だが、案内しとる方が面白そうじゃ」
「……そういうものかな……? テニス部の練習って厳しい?」
雇い主がトラブルを起こすと対処するのはディオになる。雇い主には戦闘能力はあるが、本格的な戦闘になれば、
兵器やディオが駆り出された。並盛に居る次期ボンゴレボスもその守護者も強くなっているし、かつての同胞も居る。
ディオは頭を掻いた。
「他の要因もあって今まで以上に厳しいのう。ウチは元々練習は厳しいんじゃが」
「大阪で見たテニス部は凄く速い奴がいたりしてたけど……そっちも凄そうだ」
頭から手を放すと、ディオは待ち合わせ相手の隣を歩く。連絡は学校について案内が終わってからにしようと決めた。
連絡相手はルシエラであり、自分の状況を伝えておくものだ。待ち合わせの相手は口元に笑みを作る。
「それより凄い。これから行くのは立海大付属中――テニス部は全国二連覇しとるからの」
財前光が見たルシエラ・ガートルード・ジンガレッティの印象というのはお嬢様だ。
漫画やドラマで見ているお嬢様である。
これは他のテニス部員もそう想っているのだろうと財前は考えている。物腰は柔らかいし、振る舞いもそうだ。
そんなお嬢様と財前は二人で裏山の道を歩いている。道は緩やかな坂だが、上に行くにつれて段々と傾斜が上がっていく。
左右は森であり、道の幅は二人が通っても少しの余裕があった。
「お嬢様が四天宝寺に通うってのも、妙な感じするっすけど」
「学校には通ったことがないから……知っている人が居る学校が良かったの。貴方はどうして四天宝寺を選んだの?」
ルシエラの話は謙也から聞いている。病弱でイタリアの屋敷で過ごしてきたとか、学校には通えなかったことなどだ。
勉強の方は屋敷でしていたらしい。
四天宝寺と言えば? と問われて中身を知っている者が解答に出すのは、お笑いがメインの学校であるということだ。
ルシエラに問われ、財前は答える。
「家から近かったんっすわ。事前情報知っとれば、別の学校選んどったかも知れんけど」
人によっては小学校、幼稚園から受験をしたりしている者も居るが財前はそう言うことはなく、家から近いという理由だけで、
四天宝寺中を選んだ。特に調べもしていなかったので四天宝寺中が、お笑いの学校だなんて知らなかったが。
「公立の学校は受験しなくても入れるみたいね。イタリアの学校も中学校まではそんな感じ」
(……学校、通いたいとか想っとったんやろうな)
微笑するルシエラの横を財前は歩いている。ルシエラの歩くペースはゆっくりめだ。
携帯電話で時間を確認すると、部活が始まるまで時間はまだあった。裏山は携帯電話のキャリアによっては電波が届かない。
財前が使っている携帯電話はアンテナが立っているが、銀が使っている携帯電話は裏山では電波が通じない。
「四天宝寺は常識が違うって言うけど、他とどう常識が違うの?」
「何でもお笑いに結びつけるのが一番の特徴っすわ」
四天宝寺と言えばお笑いで、お笑いと言えば四天宝寺という方程式が成り立っているところがある。
学校内ではお笑いの大会をやっていたり、入学式からお笑いがあり、卒業式だってお笑いがある。たまに大食い大会が混じる。
「笑いが大事な学校なのね」
「当初はノリに着いていけんかったんで」
「ほどよい距離を取るべきみたいね……」
日本で生活を始めたルシエラの買い物も一緒に付き合ったことがあるが、こうして長めの会話をするのは始めてかも知れなかった。
電気屋の買い物の時にしろ、家具を買いそろえる買い物にしろ、彼女は白石や謙也や彼等の弟妹と話していたからだ。
財前が会話を避けていたわけではなく、白石達の方が積極的ではあった。
「ここで六割ぐらい。もうちょっとで師範の居る滝に着くんで」
「……これは……こけし? 日本の置物……よね」
財前とルシエラが着いたのは裏山にある広場のような場所だ。先に道は続いているが、それよりもルシエラの目を引いたのは、
道の側に置かれている巨大なこけしであった。全長は二メートル以上であり、それが坂の側に置かれている。
「こけし様っすわ。元々はテニス部の部室に置かれてて」
「……どうやって部室に入れたの?」
「オサムちゃんが西日本大会優勝記念に持って来て……入れ方はあの人がどうにかしたんやろうけど、
出すのも大変で……出したはええけど、置く場所にも困ってとりあえずここに」
「お供え物が置かれているわね……」
至極真っ当なツッコミが聞こえてきた。
こけし様と呼ばれている巨大こけしには幌金縄が撒かれていたりお供え物だって置かれている。
四天宝寺中の生徒や教師が供えたのだ。
「あの人、こけし渡すでしょう」
「……お前が正式なマネージャーになったらやるわみたいに言われたわね……謙也が言うには、笑点で言う座布団と同じって」
「……イタリア人が解りづらい例えを」
オサムはよいことをしたりするとこけしを渡す。こけしがある程度貯まると特典が付いてきたりするのだが、
西日本大会を優勝したときに部室に鎮座していた巨大こけしには困ったものだ。どうにか部員でこけしを外に出して、
置き場所を考え、部室の前に置いたら不気味すぎると裏山に置いておくことにしたのだ。
巨大こけしはこけし様と呼ばれるようになり、願掛けに来る者が居る。
二人はこけし様を通り過ぎて、また坂を上り始めた。
「こけし様を手に入れた西日本大会って? こけしが貰える大会?」
「商品はこけしやないっすわ! 一、二年生が中心で……西日本大会は秋頃に行われる大会で、去年は俺等が優勝したんや」
西日本大会は関西、四国、中国、九州の覇者が集まって戦うテニスの大会だ。四天宝寺は西日本大会で優勝している。
「四天宝寺中は強いのね」
「去年はベスト四で……立海に負けて終わったっすけど、今年は優勝したいし」
財前の話を興味深そうに楽しそうにルシエラは聞いていた。部活動なども新鮮に聞こえるのだろう。
昨日、財前はインターネットのスカイプでネットの友人と会話してお嬢様の対策やフィギュアについてを話した。
的確なアドバイスが返ってきたのでそれを参考にしながら話を進めている。
「大会っていつからやるの?」
「五月に地区大会で、六月に府大会、七月に関西で八月に全国で……」
運動部の大会はどこも似たような時期に開催されるが、五月に地区大会をしてから、府大会、関西大会、全国大会となる。
三年生は何処かの大会で負けてしまえば引退だ。秋になれば関西大会や新人戦があり、冬になればジュニア大会がある。
「……大会ばかりね」
「負けたらそこで終わり……四天宝寺がいくら関西で一番強いからって、負けたらアカンし」
「油断は駄目ね。ちょっとしたことで狂うこともあるんだから」
歩くペースを少し速めた。滝の音が微かだが聞こえてきて、歩いて行くにつれて大きくなっていく。
「すれ違うことはないから、滝に打たれとるはず」
「……師範、何か言ってる……ぶっせつかまはん……」
止まったルシエラが聞こえた通りに言う。財前は何を言っているかまでは聞き取れなかった。二人は滝の方へと着く。
滝は裏山の開けた場所にあった。滝から流れた水がたまり、泉を形成している。
白装束を着た頭を剃った男が滝に打たれながら目を閉じて、般若心経を読んでいた。
「師範――!! そろそろ部活始まるんで!」
「滝に打たれるのは止めて」
財前が呼びかけ、ルシエラも呼びかける。その声を聞いた石田銀は目を開けて、滝から出た。
泉の側にはテニスバッグや着替えが置かれている。
「財前にルシエラはんか。呼びに来てくれたんか」
「ええ。今言っていたのはお経かしら」
ルシエラが聞くと銀が頷く。
「般若心経や」
「暗唱出来るなんて凄いわね。私は聖書を少し言えるぐらいよ」
「イタリア人やから聖書か……」
「a sanguine Abel, usque ad sanguinem Zachariae, qui periit inter altare et aedem. Ita dico vobis……とか」
日本語を話していたルシエラが聞いたことがない外国語を紡いだ。イタリアはカトリックの国ではあると聞いていたが、
聖書も暗唱出来るらしい。財前は英語かと考えたが、使用言語はラテン語であり、日本語に訳すと、
” すなわちアベルの血より祭壇と神殿との間に倒れしザカリアの血に至るまで現代はその罪を問われん、
われ誠に汝らに告ぐ、現代はかくのごとく罪を問わるべし”と言うルカ聖福音書の一説である。
「ルシエラはんはキリスト教か。イタリアのお人やからな」
「聖書は小さい頃から慣れ親しんだから、師範は家がお寺なの? 日本人は信仰心が薄いって聞いたけど」
イタリアといえばキリスト教で、カトリックだ。財前からしてみればカトリックやプロテスタントの見分けは曖昧である。
信仰心が薄いとルシエラが言っていたが、財前も神は信じていることには信じている。しかし日本人と言えば、
初詣に行き、お盆を祝い、クリスマスを祝う人種だ。様々な宗教をごちゃごちゃにして自分達なりに
変えてしまっている。
「師範の家は寺じゃなかったっすよね」
「うむ。東京の下町で、父は大工をしている」
銀は仏道に帰依しているようなものだ。
父親が大工なのにと財前は思っているがルシエラもそう想っているらしく、そうなの、と呟いただけであった。
ルシエラは携帯電話……財前が見たところによると最新のスマートフォン……を出した。
「部活、もうちょっとで始まりそう」
「着替えて……ルシエラは、その辺を散策しとって欲しいっすわ」
「終わったら呼んでね」
財前の指示を察したのかルシエラは首肯し、滝から離れて、森の中へと入る。銀が着替えないといけないからだ。
折りたたまれている着替えを財前は銀に渡す。銀は着替えを始めた。
「落ちついとる方やな。ルシエラはんは」
「俺のネットの友人は、お嬢様は適応能力を身につけなあかん言うとったから、そのせいかも知れませんわ」
相談したときに聞いたところに寄ると、お嬢様で高飛車というのも居ることには居るのだが、金持ちというのは金持ちなりの
付き合いがあり、家の面子などにも関わってくるため、落ち着いた振る舞いなどを求められることがあるという。
財前のような一般人でも、自分が何かしてしまえば場合によっては近所の者が噂を立てたりして母親に愚痴られたりも
するのだが、金持ちにもそういうことがあるらしい。
「大人びとるな。異人さんは年齢よりも年上に見えると言うことがあるが」
「(……師範も大人びとるっすわ)俺と同じ年ですけどね。彼女」
「白石はんと同じぐらいにも見えたが」
「あの人、エクスタシー! とか言うて突然脱ぎ出したりするんで、比べたらルシエラが可哀想っすわ」
外面だけで判断すれば大人びているのは銀であり、巨大な壁を挟んで、小石川、白石、壁がまたあって謙也や小春やユウジと
言うのが財前の見解だ。ルシエラは本当ならば十七歳ほどであるが、そのことを知るのは白石ぐらいである。
銀が着替え終わったのを見計らい、財前はルシエラを呼んだ。ルシエラがやってくる。
「見て回っていたけれど、落ち着けそうで良い裏山ね」
「ネタ出しとかに使われてたりもするっすわ。行きましょう。遅れるとみんなが煩いんで」
財前がルシエラと銀を促し、裏山を下りていく。こけし様を通り過ぎた。
「午後からは千歳さんが来るって聞いたわ」
「寮の部屋は掃除がおわっとる。荷物が来たら運んだりすれば完了やな」
「……九州二翼の千歳千里、二翼やのうて、九州は一翼になったっすね」
「もう片方も秋口には転校してしまっている。獅子楽中は去年は脅威やったが、今年は昨年の勢いがあるかは解らん」
千歳が来ることは銀も知っていたようで、迎える準備は出来ているようだった。九州二翼の二人は九州にはもう居ない。
だからと言って安心は出来なかった。
「情報とか掴んでないの?」
「うちは情報は小春先輩がしてるっすけど……当たって砕けろみたいなところが六割ぐらいあるんで」
「六割でも多いわよ。せめて四割ぐらいで」
降りるときは登るときよりもペースを速くした。裏山から出て、四天宝寺の敷地内へと入る。
テニスコートへ近付くに津入れて賑やかな声が聞こえてきた。
「間に合ったかな」
「師範の白装束の干さないといけないわね」
水を絞った白装束は銀が持っているが、干して乾かさなければならなかった。部室の扉前に三人は来る。
「おはようございま……」
財前は部室のドアノブをひねるとドアを開けた。
「あら、財前クン。ルシエラは?」
「師範がおるってことはルシエラが居るは……」
「財前?」
財前の後ろにはルシエラが居た。
ルシエラの身長は財前よりも低い。彼女は財前の後ろにいたために部室の光景が見えなかった。
部室にいたのはバレリーナの服を着た小春とタキシードを着たユウジだ。白い縦長の習字用紙に墨字で『白鳥の湖』とか
書かれている。
バレリーナの服を着ている小春だが、白鳥のオブジェもつけていた。
「ルシエラ笑かすにはどうすればええか考えてこうなったんやけ……」
どうかしらこれ! と言う小春の声が聞こえ、ユウジの声も聞こえたが財前は無視して部室の扉を勢いよく閉めた。
「見たらあかんっすわ」
「……死体でもあったの?」
「死体よりもある意味おぞましい精神汚染されるもんが……」
真顔でルシエラは死体と言っていたが財前はそれよりもお笑いダブルスコンビの非常にずれきっている、四天宝寺の面々なら
慣れてしまっていることからルシエラを遠ざけるのに思考が行っていた。
「小春はんとユウジなりのルシエラはんへのコミュニケーションやと想うぞ。財前」
「そんなコミュニケーションは、日本が誤解されたらあの二人のせいっすよ!」
財前は体でドアを押すようにして立つ。あのおぞましい何かは部室に封印しておくことに限る。
「誤解……日本については大阪はお笑いの地方と言うのは聞いているけど」
「お笑い、違う。もっと別の……大阪の特徴……通天閣とかを、それやとイタリアと言えばパスタみたいなのになるんで」
大阪と言えばお笑いだがお笑いだけで解決されると財前としては心外だ。ルシエラは納得する。
「……イタリアと言えばマフィアとか言われるみたいなものね。マフィアは分類の一種でもっと細かく言うと……」
「財前! 師範! ルシエラ! おかえりー。部活始めるで! せめてパスタやー!」
白石がそこに走ってきた。
財前は背中にドアを何度もノックされる音を感じつつ、彼のツッコミを聞いていた。
ルシエラとしては大阪は日本の第二の都市であり、関西に属する他とは違っている場所という認識をしていた。
都市に個性があることは知っている。イタリアだって、フィレンツェもヴェネツィアもローマもナポリもみんな違う。
雰囲気としてはナポリに似ていた。似ているだけで違うところもあるが、ルシエラはイタリアでも北イタリアをメインに
活動をしていたので南は余り行かなかった。
「別に調べたら一般人でもイタリアのマフィアが細かいことぐらい解ると想うけど」
「パスタの方がええんやて。お前はお嬢様なんやから」
「以外と金持ちは裏社会にも関わりが」
「……それなりにまともで居ってや」
イタリアのパスタは非常に細かい区分がある。それに比べたらマフィアは大まかに四つしか種類がない。
部活が始まった。フリーの練習試合と言っていたが、これは試合形式で対決をしてみるというものであった。
白石はまだ出番が無く、待機状態で、ルシエラはマネージャーとしての仕事を覚えていた。
オサムが元気を取り戻したので、生徒を見るのはオサムに任せて白石はルシエラと話していた。
「一氏さんと小春さんはステージで漫才をしていたわね。私をそんなに笑わせたいの?」
「馴染ませるようにはしたいんやろ」
「財前は馴染んで欲しくないみたいだけど」
「お笑いの空気に染めたくないんやな」
部室の中は見ることが出来なかったが、お笑いに関わるものではあったらしい。ルシエラがテニスコートに視線をやると
財前と謙也がダブルスを組んでいて、小春とユウジとテニスをしていた。お笑いテニスをしているようだ。
「蔵ノ介はお笑いはしないのね」
「俺は距離とか考えとるところもあるかな……お笑いにルシエラを入れるとギャップあるっつーか」
この中で唯一、白石はルシエラの正体を知っている。殺し屋兼復讐屋であることをだ。
「イタリアにもお笑い番組とかはあるし、私もたまに見るわ。ただ、日本と違って正確な時間にやらないことばかりだから……」
「……やらんのか? 日本やとスポーツ放送やったら多少はずれるけど」
バレーボールや野球などをしていたら延長などで長くなってしまい、ドラマやアニメなどがずれることは
日本ではたまにあった。ルシエラはそれを聴くと少しだけ考え込む。
「唐突にずれるわね。ドラマとか見ようとしたら三十分はずれるとか、しまいには明日放映しますとか」
「ざっぱやでイタリア……」
「白石、ルシエラを馴染ませるために話かけるのはええけど、他の部員も気にかけてやってや」
オサムに呼ばれ、白石が気付く。周囲には白石は倒れているルシエラを助けた恩人であり、日本で暮らすことにした彼女を
構うようにはしているという印象が広まっているが彼は部長であり、他の部員も気にかけないといけない。
「私は平気だから」
「解らんことあったら小石川とかにも聞いてや」
白石と別れてルシエラは仕事に戻る。この体での生活も慣れた。
仕事をしながら試合を眺める。テニスボールが当たりそうになるようなこともなく、その日も無事に部活は終わる。
テニスコートの片付けはルシエラも手伝った。
「千歳が今日は来るからな。午後ぐらいとか聞いたんやけど」
「連絡は?」
「……連絡先知らんわ……」
「聞いておきなさいよ。午後ならもう、午後じゃないの。お昼過ぎたし」
午後には千歳が来るというのは聞いていたが細かい時間は白石は聞いていなかったらしい。
「待ち合わせは……駅ぐらいで」
「千歳なら顔は知っとるし、俺が迎えに行くわ」
「謙也さんだけやと不安やから、俺も着いていきます」
「アタシも行くわ!」
「小春が行くならオレも行くで」
駅としか聞いていない白石だったが、千歳の迎えに謙也、財前、小春、ユウジが名乗りをあげた。四人で迎えに行くのも、
どうかとは想ったが、寮の準備は銀と小石川が先に仕上げをしてくれていた。
皆、特に今日は用事が無く千歳を迎える準備を手伝っていた。
「ルシエラ。昼飯やけどコンビニで買ったおにぎりとか余っとるからそれ食えや。他にも食べたかったら買ってくるし」
「これだけあれは十分よ」
謙也に言われてルシエラは持っているコンビニの袋を上げた。中にはコンビニのおにぎりが三個とペットボトルの
ジュースが入っている。オサムのために買ってきた食事の残りだ。残りとは言え、謙也が勢いで買ってきてオサムが、
食べきれなかった分である。白石もコンビニの袋を持っていた。
四人が部室から出た後で部室にはルシエラと白石が残された。
「食べ終わったら、寮の方に行こか。おにぎりとか好きか?」
「好きね。ご飯系もいけるわ」
器用にルシエラはコンビニのおにぎりのパッケージを外すと引っ張って海苔をつけて、食べていた。
中身は梅干しだ。ルシエラは梅干しも好きな方だ。忍足家で食べたことがある。
食べていると、持っている携帯電話が鳴った。ルシエラは左手でおにぎりを持ったまま、右手で右ポケットの中にある
携帯電話を出す。
「誰からや?」
「デューね。どうしたの?」
携帯電話を通話状態にするとルシエラは耳に押し当てた。ディスプレイにはディオニージ・ドゥリンダナの名がある。
ルシエラのかつての同胞であるが、彼は今どこにいるのだろうかとルシエラは考える。
雇い主の命令で世界中飛び回っている奴だ。
『どうしたの? って、朝に電話をかけたら通じなかったんだよ。アン。おれはまだ日本にいる……蔵は?』
アンと言うのはルシエラのかつての呼び名だ。ルシエラの本名はルシエラ・フラガラッハであり、フラガラッハは別名を
アンサラーと言い、そこからアンだ。デューも似たようなものであり、ドゥリンダナをデュランダルと英語風に言い換えて、
そこからデューである。
「蔵ノ介はすぐ側に居るわ」
『それなら彼にも聞かせて。おれも日本で生活することになったんだ……お前と同じ中学生になって、学校に通うことになった』
「……アンタも中学校に通う? 何処の学校よ。並盛中とか……?」
並盛の名を出すのはそこが彼等にとってはある種の重要な場所であるからだ。声に出して白石にも聞こえるようにしたので、
白石も反応する。ルシエラは携帯電話を握りしめた。音がして、携帯電話が周囲に音を聞かせるようになった。
『神奈川県の立海大付属中、四月から中学三年だよ……おれ、しかも男子テニス部のマネージャーすることになった』
「立海大付属中やて!? ディオ君、テニスするんか?」
「マネージャーって言ってたじゃない」
この言葉に驚いたのはルシエラよりも白石であった。神奈川県というとルシエラからすれば東京都の隣にある県ぐらいの認識しかない。
『玖月の手伝いで仕事したりしてたらいつの間にかね。雇い主の命令だから……マネージャーはそうじゃないけど』
「選手としては出ないでしょう」
『出ない出ない。フェアじゃないからね』
フェアではないとディオは苦笑いをしている。
「フェアじゃないって殺し屋やからか?」
『おれは殺し屋と言うか何でも屋かなー?』
「……デューは六番目の血よ。体内電流の操作が可能になるから……加速かけたり力上げたり出来るんだけど、
アイツ、痛覚鈍くしてるのよ」
それをいうとルシエラの能力である薬物精製でも似たような事が出来る。フェアではないというのは能力で底上げが出来るからだ。
二人は種類が違えど、ドーピングが出来てしまう。
狂気の血に目覚めた時点で一般人が送るようなまともな生活などやれないことをルシエラもディオも知っている。
『消しはしてないけどね。消したら消したで危険だから』
電話越しに聞いて解るがディオは笑いながら話している。
「立海ってな……ディオ君は聞いとるかも知れんけど、全国大会二連覇しとるんや。去年、ウチはストレートで立海に負けとる」
『二連覇は聞いてるけど……そっか。皇帝とか、サーリとか強い人ばっかりだしね』
白石は何かを押し込めるような表情をしてから言った。ストレートで負けていることを気にしているのだろうかとルシエラは
考える。白石は二年連続で部長をしているのは聞いていた。二年生の時も部長だったのだ。
「中学三年生って、私は事情で仕方がないにしろ、アンタは高校二年か三年でしょうに」
『協力者が中学二年なんだ。蔵と同じ年。学校はどっちにしろ通ったことはないから中学でも高校でも良いけどね』
「ディオ君も学校は通ったこと無いんか」
『無いよ。アン、それと那岐から伝言。一回連絡が欲しいんだってさ』
「那岐が? 解ったわ……今からかける」
『イタリアは午前四時ぐらい何だけど……』
「起きているわよ。アイツ」
那岐と言う名を聞いてルシエラはすぐに予定を決める。イタリアにいたときの協力者であるが、イタリアと日本の時差を
考えると昼の日本に対してイタリアは夜と朝の間ぐらいだ。季節からしてまだ夜である。
『補佐がしやすくなったということだけは伝えたかった。伝えることは終わり。これからおれ、病院に行くから、部長さんに
逢いに行くんだ。入院中だって。花を買いに行かないと駄目らしくて』
「日本だと鉢植えは持って行っちゃ駄目よ。シクラメンや赤いバラも駄目。白い花はかすみ草ぐらいなら他と混ぜればいいし、
小菊も駄目。本とかが良いわね」
『了解。本は適当に買ってくる』
細かいことをルシエラは言うがこれは忍足医院で聞いたことだ。鉢植えだと根付くという意味があり、縁起が悪く、
シクラメンも死や苦を連想するし、赤いバラは血を連想するから駄目であり、白い花は淋しげで入院患者の気を滅入らせ、
小菊は仏花であり、外国では不幸の象徴だ。通話を終える。
「……ルシエラちゃんは世間話とかせえへんな……どうして学校に通うことになったとか聞かんのか」
「アイツの雇い主がそう言ったから」
「経緯とかあるやん」
「……職業病ね……最低限のことしか言わないというか、世間話もするときはするんだけど」
裏社会には様々な事情を抱えた者達が居るし、細かい経緯などは聞くときと聞かないときがある。ディオの雇い主について
ルシエラは少しは知っているのでいつもの気まぐれだろうと言う感じだったのだが、
白石からしてみれば会話が乾燥しすぎていたらしい。
ルシエラは通話を終えた携帯電話から登録してある番号を呼びだした。
「那岐って……?」
「デューと同じ結社の出身なんだけど、細々としたことをさせるのに借りてるのよ」
耳に携帯電話を押し当て、ルシエラは出るまで待つ。出なかったら出なかったでまたかけ直すだけだ。
イタリアは午前四時を過ぎた頃だ。反応は期待していなかったが、コール音が途切れた。
『――お前、時差って言うものを知ってるか? これから寝ようとしていたのに平然とかけてくる』
「知っているわよ。これから寝るなら寝る時間を少し伸ばしなさい。電話かけろって言ったからかけたのよ」
白石が聞いたのは若い声だ。非常に不機嫌そうである。自分と同じ年か、もしくは少しだけ上のような声だった。
少年の声である。彼が那岐だろうと白石は想った。
『最後の電話が事情の説明に金振り込んでくれって用件だけだし』
「……蔵ノ介にも言われたわ。会話が世間話がないとか」
『する気になったら出来るけどしないときはとことんしないからね……しばらくは日本に滞在するんだろう』
「私が帰ったら帰ったで不味いし、今、攻められたりしたら勝てないわよ」
『情報撹乱はしておいてるからばれることはほぼ無いけど油断はしないで。蛇足だろうけど』
「心配してくれてるの?」
『僕以外のみんながね』
ルシエラは電話越しにおかしそうに笑っていた。那岐が心配していないと言っていることを聞いて嬉しそうにしている。
「考えたいこともあるから……そっちはどう?」
『出来そうな依頼はノイにやって貰ってるけど……君の悪名、凄まじいからね。消えたら消えたで騒ぎになってる』
「悪名だなんて――」
『……解ってて笑うな。依頼者が偽ってたりしたら殺すし、やるなら徹底的だし』
(ゴルゴ13……ゴルゴ13や……)
白石の脳裏には日本有数の最長漫画が浮かんでいた。笑いながら話すルシエラによりも、ネタの方が浮かんでしまったのは、
逃避なのか、白石が大阪人なのかは不明だ。
『コネとか使うに使うし、今まで色々と殺しておいて良かったね』
「貸しとかも作りまくったけど、この界隈、人情よりも義理が大きいんだから……シチリア系は別だけど」
『資金の問題は無い。情報屋としての基盤もあるし、ジンガレッティの基盤も足せばやっていける』
「……電気代が酷いなのよね……アンタのネット代とか、やって貰うと助かるから良いんだけど……連絡系統は?」
世間話を二人はしていた。日本語でだ。イタリア語ではないのはルシエラが日本語も使えるからだろうか。
『連絡だけど……ディオにタブレット端末を調達して貰って君の所に送って貰う。あると便利だし、表向きの連絡は、
エアメールを出すよ』
「タブレット、板?」
『ノートパソコンにしておく』
速攻で那岐は答えを変えてきた。まるで答えが通じなかったのですぐさま別の意味が通じるものにしたような……
実際、そうなのだろう。
「みんなは元気?」
『元気だよ。セナやキョウも、トートやノイも……声、聞かせられるときには聞かせてあげて』
「イタリアにいる癖にみんな日本語使うんだから」
『だって日本人ばっかりだし……何かあれば連絡はする。僕は寝る』
「おやすみなさい。那岐」
会話が終わり、ルシエラは通話をまた終えた。
「那岐って日本人?」
「直江那岐、日本人よ。コンピューター関係とか情報に強いの。戦闘力はないんだけど、私が居るから問題無かったわ」
那岐についてルシエラは簡潔に教えてくれた。ルシエラは借りたと言っているが補佐をさせるために借りたようだ。
ルシエラは食事に戻っている。
「仲間、居ったんやな」
「……仲間と呼ぶべきかは不明ね。同胞と呼ぶなら他の剣王だけど、成り行きで一緒に居るぐらいだから」
おにぎりをルシエラは一つ食べきっていた。成り行きと言うがどのような成り行きでそうなったのか、
那岐は借りているようだが、白石はルシエラに対しては知らないことばかりである。
守秘義務とかもあるだろうし、聞いたところで教えてくれ無さそうだが、一つだけ教えてくれそうなことがあった。
それは。
「ルシエラちゃん、機械、そんなに好きやないんか? コンピューターとか苦手?」
「……好きじゃないだけよ」
(苦手なんか……)
ルシエラはコンビニおにぎりを白石の顔面に投げつけた。白石は額に三角おにぎりの角が当たる。
聞かれたくないことばかりのようだが、どうやらこのことも聞かれたくはないことの一つだったようだ。
【Fin】
午前編終了でどうしてここまでかかったやら……これで千歳出る予定だったんだがな。直江那岐は別作品からです
もどる