忍足侑士と幽霊との絵本会話

        
「幼稚舎の手伝いですか」

「文化活動委員としての仕事や」

青年は分厚い黒い表紙の聖書から視線を外した。
忍足侑士と魂の半分を共有している幽霊は読書好きだ。
彼の通っている氷帝学園中等部の図書室やサロンは本が充実していてよかったと想う。不満を余り言わない幽霊ではあるが、忍足は幽霊に恩がある。
中等部二年の忍足は文化活動委員会に入っていた。委員会については継続しようとすればそのまま継続が出来るし、変えようとすれば三年の時にかえられる。
氷帝学園は幼稚舎から大学まで揃ったエスカレーター式の学園だ。忍足は中等部からこの学校に在籍している。
彼が今居る場所は白い空間だった。
目の前に居るのは、白いベンチに座った青年、レームレと名乗っている幽霊である。忍足よりも年上で黒髪のショートカットに紫色の瞳をしていた。
神父や牧師のような僧衣を着ている。法衣とも言うらしい。黒ずくめだ。

「休み時間中に仮眠ですか」

「眠かったんやで。修学旅行の話し合いでな。ドイツに行くんや」

「知ってます。聞いてましたから」

忍足が見聞きしたものは幽霊にも感じ取れる。
五時間目の休み時間、忍足は仮眠でこの幽霊が居る空間へとたどり着いた。行きたいと願えば行けるのだ。幽霊の返事は素っ気ない。

「行ったことあるんか」

「生きていた頃に」

何が珍しいのだろうという声だったので、忍足は聞いてみたら予想をしていた答えが帰ってきた。

「お前、始めに逢ったときに言語は読み書き出来るとか聞いたから、話せもするやろう」

「ドイツ語は読み書きも話しも出来ますが、ユーシ。僕に通訳をしろと?」

「やれや。俺かて、ドイツ語は簡単にしか出来ん。跡部みたいに上手く話せんし」

跡部景吾は中等部二年で忍足の同級生であり、氷帝学園男子テニス部の部長でも有り、生徒会長でも有り金持ちだ。
授業でドイツ語を選択している忍足ではあるが、コミュニケーションは簡単にしかとれない。

「別に構いませんが」

「交渉設立やな。……って」

忍足が顔をしかめた。頭が痛い。

「――さようなら。そして、おはようございます」

起こされているのだ。
引っ張り上げられるように、忍足は白い空間から消えた。



ドイツ語の授業が始まっていた。
四十代ほどの男教師に忍足は苦笑いを返した。問題について言われたのだが、幽霊に連絡を取り解いて貰う。

(ギリシャ語とかスペイン語とかお前はやらんでも分かるからええな)

『授業ですが、ドイツ語とスペイン語とフランス語とギリシャ語ってやらなくてもいいような。英語や日本語は分かりますが』

(なんかやっとるし。俺は選択で選んだんやけど。――格好良さそうやったから)

『……ギリシャ語よりは使用頻度は恐らく高いでしょうけど』

自分でも勉強はするが幽霊はすぐに問題を答えてくれる。
ドイツ語は格好いいというイメージが忍足の中に有り、選択でドイツ語を選んだ。テストが一科目増えたし、英語とドイツ語は切り替えが難しい。
幽霊と心中で会話をしつつ、授業を乗り切っる。
今日は幼稚舎の文化活動委員会の仕事の手伝いで、部活には遅れるということをあらかじめ跡部には話してある。
テニスバッグと勉強道具が入った鞄がを手に持った。

(さっさと終わらせて、部活や)

『幼稚舎の図書室の飾り付けでしたっけ』

軽く頷く。
幽霊にも伝わっているだろう。読書の秋と言うことで、幼稚舎の図書室では本をもっと読んで貰おうとキャンペーンを行うらしい。
キャンペーンの手伝いに忍足が呼ばれたのだ。
忍足は幼稚舎には余り行かない。

(ジローや岳人なら馴染みが深いんやろうが)

考えてみれば今の氷帝テニス部レギュラーで幼稚舎から氷帝にいたのは宍戸亮や向日岳人、芥川慈郎ぐらいであり、跡部だって中等部からだ。

『君は、転校してばかりでしたね』

(世間を渡るのは上手くなった気はする)

さっさと幼稚舎の図書室に行ってしまう。図書室というか図書館かも知れないが。氷帝は庶民が通っている面もあるが金持ちのイメージもある。
一番イメージを構築してしまったのは跡部のせいだろう。

『それは重要な能力ですよ。ユーシ。要領がいい人は生き延びやすいです』

(お前も要領がええところがあるな。レームレ)

『そうですか?』

会話をしつつ、幼稚舎の校舎へとたどり着く。徒歩で五分ぐらいだ。

「中等部二年の忍足侑士や。文化活動委員として図書室の……」

エプロンを着けた司書らしい女性に説明をすると二十代後半ほどの女性は案内をしてくれた。
幼稚舎の図書室は中等部の図書室よりもやや狭い。室内は明るく、真新しい勉強机や蔵書を調べるパソコンが置いてある。

「小学生の時に読んでおくべき本の特集とかしたいので、忍足さん、本の方は」

「それなりに読んでます」

『展開が一緒の恋愛小説ばっかり』

(一緒やないから)

幽霊の影響で他の本も読んでいるのだが……、図書室には何人かの幼稚舎の生徒が居た。

『珍しそうにされていますよ』

(交流会ぐらいやからな……逢うん)

氷帝学園は五月に幼稚舎から大学までの代表者が集まり、問題点を話し合うイベントがある。読んでおくべき本の特集をしたいので忍足のおすすめの本を選んでほしいと
女性司書に頼まれた。

『どんな本を紹介してみるんです?』

幽霊に問われた。
忍足は図書室の片隅で考える。てっきり工作でもするかと予想していたので、小学生向けのおすすめの本をあげろと言われても困る。

「まずは図書室、歩き回ってみるわ」

中にある本を把握するために忍足は歩いてみる。
中等部の図書室のようにジャンル別に区分けされていて、絵本コーナーや進学校らしく参考書のコーナーもある。図鑑も揃っていた。

「漫画とかもあるか。……すすめるんなら、絵本とかにしてみた方が」

『それなら、エドワード・ゴーリーをおすすめします』

「……エドワード。ゴーリー……」

絵本コーナーにその本はあった。
エドワード・イーゴリーと作者が書かれた日本語訳の絵本たち、一冊は本棚の上に表紙が向けられているが残りは本棚につきささっている。

『The Gashlycrumb Tinies: or After the Outing』

なめらかな発音が忍足の耳の底から聞こえた。
幽霊は表紙が向けられている本について言っているようだった。

「ギャシュリークラムのちびっ子たち―または遠出のあとで……」

忍足は本を手に取り、ページをめくり――。



跡部景吾が長年の付き合いがある樺地崇弘と樺地の同級生である鳳長太郎と共に幼稚舎の図書室を訪れたのは鳳が文化活動委員会であり、幼稚舎の図書室での手伝いを頼まれ、
樺地が付き添いに来たからである。本を薦めてほしいらしい。

「誰か先に来ているといいんですが」

「ウス」

「こんな本、誰が薦められるか。お前の趣味はズレすぎとるんや――!!」

叫び声と共に何かがたたきつけられる音が聞こえた。

「……聞き覚えがある声が……」

「忍足先輩?」

跡部が耳を澄ませて、樺地が言う。
幼稚舎の生徒が何人もその声に引いている。跡部達が声のする方向に向かうと、絵本をたたきつけて肩で息をしている忍足が居た。



『跡部くんと樺地くん、それに鳳くんですよ。ユーシ』

平然と忍足が叫び出す原因を作り上げた幽霊は自分の周囲に来た同級生と後輩の名を呼んだ。
跡部と樺地は忍足もよく知っている。跡部とは交流があるし、樺地も幼稚舎時代から跡部についてきていた。鳳については最初は名前を覚え切れていなかったが、
幽霊が先に覚えていた。

「……なんでこんなところに」

「お、忍足先輩こそ……何を叫んで……お前の趣味……?」

周辺には忍足だけしか居ない。
幽霊の存在は忍足にしか感じ取れないため、忍足からすれば幽霊から薦められた絵本を読んだら中身が非日常的すぎてツッコミを入れてしまったのだが、
跡部達からすれば忍足が勝手にツッコミを入れて本をたたきつけたようにしか見えない。たたきつけられた本を跡部が広い。

「忍足、テメェ、ギャシュリークラムなんて読んでみたのか。……あったんだな。こんな本」

「図書館は自由を守るところっぽいし」

「これは読んだことがないんですが」

「怖い本、です……」

跡部が感心し、鳳が不思議そうにしていて、樺地が怯えた声で言う。樺地が喋ったと忍足は思ったが、叫んだことを忘れさせるために話題を巡らす。

「絵本とかすすめてみよう想て、読んでみたらな。……友人にメールで聞いてみたら、選択失敗したわ」

メールなんてしていないが無難にごまかす。跡部が適当にページをめくると、火だるまになっている少女が二ページで描かれていた。

「R is Rhoda consumod by a fine.とかアルファベット二十六文字で延々と韻を踏んだ文章が書かれた子供達の死に様が描かれているのがこの絵本だ」

「す、すごい怖いですね」

「お前は恋愛小説以外を進めようとしてみたようだが、無理はするな」

「――恋愛小説以外も読んどるで?」

そこは言っておく。
跡部も幽霊並に英語の発音がなめらかだが、跡部は帰国子女だ。日本よりも外国で暮らしていた時間の方が長い。

「絵本なら、はらぺこあおむしとか」

「シェイクスピアとか意訳したのとかあるだろう」

『すすめるとしたら……』

「(お前はすすめんでええわ。レームレ)鳳とかも選びにきたんか」

「はい。頼まれましたから」

真っ直ぐな少年である。樺地もそうだが純粋だ。樺地も真剣に本を選ぼうとしてくれている。忍足は幽霊の声にしばらく耳を貸さないことにした。

「読まない奴は本当に読まないし、読むにしても解釈とか人によって違うしな……」

「言えとるわ」

『跡部くんは大人びていますね。――君みたいに』

(アイツも大変みたいやからな)

忍足は空気を読むことに長けている。
転校生活は状況の把握を忍足に身につけさせた。場の雰囲気を詠み、仲裁したり、時には壊す。跡部なりに本を考えているらしい。

「……跡部も本選びに参加するん? 鳳は文化やろ。樺地は鳳の手伝いやろうが」

「当然だろ? 面白そうじゃねえか」

「面白い本を選びましょう」

「ウス」

本を選び終わったりすれば、部活もするだろう。跡部は決定してしまえば曲げることはほぼない。テニス部メンバーには自主練でもさせておくのだろう。
おすすめの本としては絵本を選ぶことにして、忍足は絵本を物色し始めた。
そこで、聞こえた声。

『紹介しないんですか? The Loathsome Couple』

(本の名前、かわっとるで……)

忍足は幽霊の発言を無視した。


【Fin】

エドワード・ゴーリー。幽霊が好きな作家というかシュール好み

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