番外編 始まりの前に

       
青春学園中等部は春休みではあるが生徒が居た。部活のためだ。
男子テニス部コートにも、練習をしているテニス部員が居る。肌寒い空気から体を護るように
二年生である不二周助は長袖のレギュラージャージを着ていた。

「寒いよね。速く春が来て欲しいよ」

「暖かくはなってきているんだけどね。英二は寒いの好きじゃないかい?」

「嫌いだよ。コタツに入って出てきたくないって言うか」

不二の隣には同級生の菊丸英二が居る。今日は部員通しでペアになり、練習試合だ。

「この試合が終わったら、次は菊丸君と不二君の試合だけど……」

「塩野谷、困ってない?」

「試合をしている海堂と桃が、喧嘩みたいになってるからね」

紙が留めてある黒色のクリップボードを両腕に抱えて居る少女は、同級生で、青学テニス部マネージャーの塩野谷カズサだ。
薄茶色の髪を下に一本に縛っている。
不二の視線の先では一年生の桃城武と海堂薫が試合をしていたが、

「海堂!! 倒してやるからな!!」

「負けねえよ……」

テニスネットを挟んでいないと、取っ組み合いをしそうである。

「今日は、こっちに来てるんだ」

カズサは不二の幼なじみだ。父親通しが知り合いで、たまに逢っていたが、不二が小学校六年生の時にカズサが病気で
半年ほど治療に入り、再開をしたのは中学生になってからだ。カズサもかつてはテニスをしていたが、病気のせいで、
テニスが出来なくなってしまった。先々代の部長がそんなカズサにテニス部のマネージャーになることを勧めて、
彼女はマネージャーをしている。男子テニス部と女子テニス部の雑務を片付けたりすることがカズサの役割だ。

「女テニの方は仕事が終わったから、こっち。手塚君と竜崎先生が話しあいをしてるから、その間はテニスコートを、
見て置いて欲しいと頼まれたんだけど」

「桃も海堂も落ち着いて試合をしろ!!」

一年生組の間に入ったのは、副部長の大石秀一郎だ。桃城と海堂の試合が終わらないことには不二と菊丸は
試合が出来ない。他のテニスコートも試合が行われている。

「どっちも負けず嫌いだにゃあ」

「今年こそは全国へ行くって、手塚君も気合いが入っいてるみたいだし、竜崎先生が言うには面白い新入生が来るかもとか」

「だよね。俺達、今年で終わりだもん」

カズサと菊丸の話は全国大会の話題になっていた。
青学は去年と一昨年、関東大会では四位で全国大会へは行けていない。全国大会へ行くための枠は年度によって変わる。
今年はもっと枠があれば良いと想うが、青学としては都大会や関東大会を優勝したいところだろう。
簡単なことではない。
都大会には氷帝学園が居るし、関東大会には六角中や立海大付属中も居る。

「一筋縄じゃ行かないだろうけどね」

「だから俺達が頑張るんだよ」

菊丸がそう言ったので不二は強く笑っておいたが、心中には懸念もある。
自分は、燃え上がれるだろうかと。
勝利への執着が足りないことを不二は自覚していた。前で喧嘩を止めて、試合を始めたがまた喧嘩に入りそうな後輩達よりも、
それ以下で、自分は勝利に対する気持ちが薄い。
そこまで執着しなくても、勝ててしまうのだ。
不二に勝てるのは部長である手塚国光ぐらいであるが、手塚に負けても、”手塚だから仕方がない”と言うような気持ちもある。

「何処もそうだろうしね」

カズサが言うと、携帯電話の音が鳴る。テニスコート内には携帯電話は持ちあるくべきではない。
ポケットから携帯電話を取りだしたカズサが操作して、メールを読んでいる。

「携帯、持って来たんだ」

「置き忘れちゃって、父さんからメール。今日には帰ってくるとか」

「帰ってくるか……。うちは裕太が帰ってこなくてね。帰ってきて欲しいんだけど」

「裕太君は寮暮らしをしてるんだよね」

話ながらカズサは携帯電話の電源をきっていた。カズサの家が父子家庭であることを不二は知っている。
カズサは父親とは外交官をしていて余り逢っていない。弟のことを不二は話題に出した。

「気楽そうで良いよね。寮暮らしって、規則とか守らないといけないけど、俺は兄ちゃんとか姉ちゃんとか多いから、
たまーに一人暮らしみたいなのをしてみたいって想う」

菊丸の家は家族が多くて賑やかだ。裕太が心配なので、たまに母親や姉が電話をかける……自分がかけると邪険にされたり、
用事があるとかできられてしまうから……のだが、母や姉に対しては会話はするものの、今度帰るで話をはぐらかしている。
不二は話題を変えることにした。弟のことで考えていると気持ちが沈んでくる。仲良くしたのに壁が作られていて、
時間が解決してくれるはずだと考えても、そうはならなくて、壁が固まるだろうと想う自分も居る。

「試合、まだ終わらないのかな」

「……海堂君と桃城君の試合、タイブレークに入りそう何だけど」

審判をしている一年生が審判を止めたがって居るぐらいに海堂と桃城は白熱した試合を行っている。

「入るんじゃないかな……」

「元気がありあまってる」

カズサが言うように桃城と海堂の試合はタイブレーク、延長戦に入りそうだ。短期決戦を使用とする桃城に対し、
海堂は長期決戦を挑み、互いに噛み合わずに試合が延びている。

「裕太君、春休みには帰ってきてくれるよ。きっと」

「そうだと良いけどね」

励ましの言葉に不二は穏やかな気持ちになる。春休みはまだあるのだ。帰ってきてはくれると信じたかった。



「……欲しい本は買えたな。皆、買い物を頼みたがる」

「寮から外に出るのが面倒とか忙しいとかあるんでしょうね」

昼頃、紙袋の中身を確認していたのは濃い茶色の髪がやや長い灰色のコートを着た少年だ。
その隣には身長が僅かに高い短く髪を切っている少年がいる。
少年は茶色いコートを着ていた。春になっては来ているが、まだ寒い。
短い髪の少年、不二裕太はやや髪が長い村神時人に苦笑いを見せていた。裕太の方も紙袋を持っていた。
中身は雑誌や単行本など、多種多様の本だ。

「ルドルフ近くにも良い店はあるのにな」

「本は何処で買ってもそんなに変わらないって、村神先輩、前に言ってましたよね……。だからかと」

裕太は聖ルドルフ学院の一年生で、村神は二年だ。お互いに寮暮らしであるので接点がある。
二人はルドルフから離れた都市部へと来ていた。きっかけは裕太が寮の管理人からケーキ屋の割引券を貰い、
そのケーキ屋がルドルフから離れた丁度二人が来ている場所にあった。
村神は本を買いに行こうとしていたが、他の寮生や友人に本を自分の分も買ってきてくれと頼まれた。
近場にあるから買えと言った村神であるが、買ってきてと言われ、そこに裕太が通りかかり、買い物に行くことにしたのだ。

「俺は好きな作家のサイン本を買おうとしただけだったのに」

「文芸部部長だから本が好き……じゃなくて、本が好きだから文芸部部長に」

「消去法でもあるな。四月からは生徒会書記もやるが」

「観月さんの補佐ですよね……」

テニス部である裕太と違い、村神はテニス部ではなく、文芸部部長だ。四月からは生徒会の書記にもなる。
書記は推薦で選ばれた。選挙は一応したが当選してしまっている。
ルドルフの生徒会は二月に選挙をして、四月から三年生が生徒会役員をやる。ルドルフはまだ創立して五年と歴史が浅い。

「……観月は誰かを生徒会長に立てて影から操るか、寮生管理委員会に入りたかったようだが」

「それを邪魔したのが大瀧先輩とかで……、観月は生徒会長に向いてるし、向いて無くても何とかなるだろうとか、赤澤部長が」

「アイツは、楽観的だ……」

裕太は生徒会選挙について知っているが、一騒動有り観月が生徒会長になってしまっていた。
赤澤吉朗はテニス部の部長で村神の幼なじみだ。幼なじみが相変わらずだったらしい。

「四月になったら学年が上がって、五月には地区大会や都大会も……」

「兄を倒したいんだったか?」

「倒したいです」

村神に問われ、裕太ははっきりと答える。
裕太には年子の兄、不二周助が居る。年子であり、兄は何をやっても何でも上手くこなすので、小さな頃から比べられてきた。
テニスだってそうだ。裕太は青春学園に在学していたが、そこでは不二周助の弟としてばかり見られてきた。
ルドルフに転校した今は青学よりもマシな、それ以上に楽しい生活は送れている。

「それで思い出したが実家、帰らないのか」

「帰りたくないんで。冬休みと同じです」

「……帰ったのはぎりぎりだったし、すぐに帰ってきたな」

今のルドルフの寮は全員が揃っているわけではない。地方組は実家に帰っている者も居る。裕太は実家が東京にあるので、
帰りやすいが、兄嫌いのことや家族が苦手なので、裕太は冬休みは実家に帰ろうとはしなかった。
とは言え、大晦日から新年三日は帰宅しろと言うことは管理人から言われたので従った。
村神がこのことを知っているのは、彼も裕太と同じでぎりぎりに帰宅してすぐに帰ってきたからだ。
彼は父子家庭であり、父親が家を空けていることが多いのと、村神は生活能力を捨てているところがあり、
生活は寮便りにしているからだ。

「冬休みは面白かったですよ。先輩達がいろんなのを見せてくれたり、連れていってくれましたし」

「アニメやら漫画やら見たり、外でフリスビーやったりしたな」

「村神先輩、体調が良ければ運動、得意ですよね」

「……得意ではあるんだが……やるのは皆に止められる」

裕太と村神はケーキ屋へと向かっていた。村神がケーキ屋に付き合ってくれることになり、その代わりに裕太は、
荷物持ちをしていた。

「トキと裕太じゃないか! 二人とも、こんなところまで買い物に来たんだね」

「その声……」

爽やかな声がして、裕太が声のする方を見て、固まる。薄茶色の髪をした爽やかな少年の隣には見たくなかった兄が居た。

「裕太、久しぶり」

「……アニキ……佐伯さんと買い物か?」

不二の隣に居るのは佐伯虎次郎、不二兄弟の幼なじみだ。佐伯は五月頃の太陽のように明るさを振りまいているし、
兄は兄で穏やかに笑っている。女性の視線が集まっているがあの二人のせいだと裕太は想う。

「佐伯とは近くで会ったんだよ。裕太も買い物に来たんだね」

「……村神先輩の買い物の手伝いだ」

「テニス部には見えないけど」

「文芸部だよ……」

村神は顔色が悪いというか目つきが悪いと言うか、スポーツをやっているような人間には見えない。
テニスも出来るが、体が弱いため長時間の運動は出来ない。

「裕太の、兄か」

「はい」

「……佐伯もそうだが、目立つな……」

軽く村神は咳をしていた。裕太としては村神の解答に安堵したところがある。不二に対しての言葉が褒め言葉では無く、
率直な感想だったからだ。

「オレは目立つつもりはないんだよ。トキは不快そうにしてるけど知り合いが居たら声をかけたいじゃないか。不二は裕太君の
お兄さんなんだし、弟が居たら話しかけたくなるよ」

「海にでも帰っていろ、千葉県民。……俺は一人っ子だが兄が弟に話しかけるのは分かる」

「裕太は、春休みだって言うのに帰ってこないから……」

「テニス部の練習もあるし、新学期のこともあるし、家は別に冬休みに帰ってきただろう」

「それからろくに帰って来てないじゃないか」

微笑みながら佐伯は村神に話しかけているが、村神が毒々しく返している。苦手なんだろうか、と裕太は想うが、村神は
たまに言い方がきついときもあるので、それかもしれないとも考えた。
兄は帰ってこないことを咎めている。裕太としては速くこの場を去りたかった。

「……少し、気分が悪くなってきた」

「大変だよね。トキ、何処かで休むかい?」

「それなら寮に……」

村神が体調の不良を言ってくる。ここからルドルフまでは電車に乗り何駅か通り過ぎてから駅を降りて徒歩だ。
寮に戻りたかった裕太に佐伯が言う。

「トキはオレが着いているからさ、裕太君は不二と一緒に買い物とか行きなよ。家に帰るとか」

「何ですか、いきなり!?」

村神は持っている鞄からブックカバーのかかった文庫本を取り出すと栞代わりに挟んでいたケーキ屋のチケットを出した。
裕太が村神に預けたものである。

「行ってやれ。俺は休めば動ける。荷物は運べるから……佐伯、お前は千葉で潮干狩りするなり泳ぎに戻ればいい」

「やだなー、海遊びは好きだけど沖縄県民じゃあるまいしこんな寒いのに海に入れないよ」

「……ケーキ……食べてこい。管理人さんの気遣いを無駄にするな」

かなり疲れている様子で佐伯の方を見ず村神は裕太に言う。
佐伯が裕太の持っている紙袋を奪っていた。不二が村神が指に挟んでいるチケットを取る。

「ありがとう。村神君とは今度、話したいな。裕太、行こうよ。佐伯、任せたよ」

「アニキ!!」

「またね」

「寮の方には俺から言っておく」

不二が機嫌良く裕太の腕を引っ張っていく。村神のことが心配だったり、佐伯が爽やかすぎるのがあったが、
裕太としては帰りたくはない実家に帰ったり、不二とこれからを過ごすことが嫌だった。寮に戻ろうにも、戻しては
くれないだろう。裕太は気が重くなってきた。



村神時人と佐伯虎次郎は一応は知り合いである。
それというのも、テニス部のメンバーの一人である木更津淳が佐伯が通っている千葉県の六角中出身だからだ。
淳は観月のスカウトを受けてルドルフに来た。六角中はテニス部が全国区であり、ルドルフも淳を縁に付き合いがある。
赤澤に誘われて六角に出かけたときに佐伯と出会った。

「……トキと呼ぶのは許可していない」

「呼びやすいんだよ。六角中なんてみんなあだ名で呼び合うよ。もしくは呼び捨てとかね」

「お前のあだ名はサエ、だったか……」

大きく息を吸い、気持ちを切り替える。佐伯と話していて気分が悪くなったというのが正しい。村神は人と会話はするが、
佐伯のような人間は苦手だ。佐伯は村神によく構ってくる。

「不二と逢ったのは偶然なんだけど、何処か行こうとしていたら君たちを見かけたんだ。そうしたら不二、動けなくなってね」

そのことは不二も言っていた。

「金縛りにかけた憶えはない」

「裕太君、楽しそうだったからね。実家とか避けまくってるんだろう? 聞いてるよ」

弟が楽しそうに誰かと話していて、自分が削られたような感じがしたのか、不二は動けなくなったらしい。
佐伯が村神と裕太に声をかけたのも、何とかするためだったのだろう。

「俺は一人っ子だから兄が居る気持ちは分からない。吉朗や歌織には居たが……、ただ、それとは場合が違う」

幼なじみ二人には兄が居るし、兄が居たが、年が離れていた。不二と裕太は一年ほどしか差がない。

「比べられて続けてるからね。二人には上にお姉さんが居るんだけど、お姉さんとは不二から見て十歳違いなんだ」

「かなり離れているな……」

村神は裕太から姉の話は聞いたことはあるが、占い師をしていると言うぐらいしか聞いていない。

「昔から仲の良い兄弟でね、不二がよく裕太君を連れ回していた」

不二の方は裕太を大切にしているが周囲の声や、不二が裕太を大切にしているという気持ちが空回りしているところがあり、
噛み合わないところがあるのだろう。

「今では不仲だが」

「本当は仲が良いはずだよ。……不二が辛党で裕太君が甘党でその辺りは合わないけど」

「……裕太は辛いものが駄目だぞ」

裕太は甘党だ。紅茶に角砂糖を五個入れるほどの甘党である。

「これからどうするんだい? オレは君に付き合うけど」

「気分が落ち着いてきたし、本屋にもう一件行ってから……付き合うのか」

「そう言っちゃったからね。これだけ本を買ったのに、まだ行くの?」

「買えてないのが一冊あるんだ。……近いうちに家のテニス部がそっちに試合に行きたいと」

佐伯が持っている紙袋と村神が持っている紙袋で本はほぼ揃ってしまっているが、村神が欲しい文庫本が一冊、買えてない。

「君が来てくれるんだ」

「俺は文芸部だ。……お前はテニス部部長になるのか?」

練習試合は観月が話していた。
六角は全国区であり、ルドルフはまだまだ新参だ。実力はつけていかなければならない。観月がこの辺りは気合いを入れているが、
やり過ぎないかは懸念している。懸念については他の者達も想っていた。

「オレは副部長だよ。一年生がね、部長をするんだ。オジイの決定だからしょうがないんだけど、冬の時はオレが部長の替わりを
していたんだ。テニス部はマネージャーを一人、入れたいなって」

笑いながら言う佐伯であるが、決定に不服そうであることを村神は読み取る。六角中は小学生と中学生の区分が薄い。
村神は歩き出し、佐伯も隣を歩く。

「……副部長ならば部長を操作出来るとか、前向きに考えておけ」

「操作か。そんなことはしたくはないんだけど、考えておくよ」



氷帝学園、二年生である忍足侑士は生徒会室を訪れていた。

「スイスに行ったら次は大阪か? お前も旅行好きだな」

「春合宿がなかったら大阪に行くつもりやったけど、ずれたんや」

生徒会長にして氷帝学園男子テニス部部長である跡部景吾は優雅に自分用のソファーに座り、紅茶を飲んでいた。
紅茶を入れたのは、後輩の樺地宗弘である。忍足は一人がけの椅子に座り、樺地が出してくれた紅茶を受け取った。
いつもならば速めに大阪に帰るつもりだったのだが、スイスに行ったことによりずれた。
テニス部の合宿にスイスというのは豪華すぎである。それを言えば忍足は氷帝に在学したことでラスベガスや、
グアムやドイツに行けていた。海外ばかりだ。

「大阪ってのは、妙な眼鏡が太鼓を叩いていたりとか呪いの人形が沈んでるんだろう……。おかしなところだぜ」

「カーネルおじさんはとっくにそれは引き上げられとるで!? それ言うたらイギリスとかもおかしいやん!!」

忍足にしろ跡部にしろ東京暮らしの方が短い。忍足は大阪や各地を転々としてきたし、跡部はイギリスに長く暮らしてきた。

「イギリスはおかしくねえよ。幽霊が出やすいぐらいで、なあ、樺地」

「ウス」

「樺地を味方につけるとは……大阪の土産は買うてきてやる。さすがにレギュラーとギリで準レギュラーぐらいやが」

氷帝学園は二百人以上のテニス部部員が居る。
跡部は全員を把握していると言うが、忍足はそんなことは出来ないし、日本でも有数の財閥である跡部財閥の人間である
彼のように金も持っていない。
忍足は二泊三日で大阪へ行く予定だが、部活に少し出られなくなるのでそのことを跡部に話しに来た。

「スイス土産は持って行くつもりなのか」

「選んだしな。でな、跡部、泊まりに行く家なんやけど、叔父さんの家なんやけどな。イタリア人のお嬢様がホームステイ、
し始めとるんや。話すことになるんやろうけど、お前、お嬢様とか詳しいやん。気をつけることとかあるか?
会話とかどないすればええやろ」

「……お嬢様がどのタイプかは分からねえが、大阪なんて魔境で暮らすんだから困ってることはあるだろうな」

「大阪を魔境扱いすんな!!」

跡部の中で大阪というのは異常空間となっているらしい。

「しない方が良い話題は宗教と人種、それから年齢と生い立ちと収入だ。日本人だと特に人種と収入は聞きやすいっぽいが止めろ」

「宗教もか? イタリアやからキリスト教やろうけど」

「キリスト教もどんだけ種類があると想っている? カトリック、プロテスタント、東方正教会、イギリス国教会、細かく行けば、
カトリックでもアウグスティヌス、ベネディクトと別れ、イギリス国教会だと……」

「俺が悪かった。お前、よくそこまで憶えとるな……」

忍足が固まる。
キリスト教徒ひとくくりにしてしまっているが、派閥が細かくなっている。忍足には違いはいまいち分からない。
跡部ならばどう違うかまでを理解していそうだ。

「多種多様の人と付き合うにはいるんだ。会話に困るなら旅行先の話題とかにしておけ。そこから広げろ。
イタリア人なら……ナポリタンは話題に出すな。アレは日本のメニューだ」

「おおきに。跡部。土産で返すわ。樺地も土産楽しみにしとってや」

「ウス」

荷造りをしなければならないので忍足は早めに生徒会室を出た。電車に乗って帰宅してから準備だ。
従弟である謙也とはスイスでも電話をしたりしていたが、向こうの忍足家ではイタリア人がホームステイを始めたと
聞いていた。携帯のカメラで写真を撮って欲しいとかいったが謙也が言うには彼女は写真を嫌うらしい。

「……宗教の話題はデリケート……、日本はそんなに気にせんのは民族性もある……気をつけとくわ」

日本人はクリスマスを祝い、お盆を参る。混ぜてしまえるのだが、他はそうもいかない。
従弟である謙也と会話をするのは気楽ではあるし、叔父、叔母との会話や従弟の翔太とも話せるが問題はホームステイの
少女だ。外人である。

「……ルシエラ、ルシエラ……フルネームが長かったな」

名前は覚えたがミドルネームと彼女の名字もいれると長くなっていた。帰ろうとした忍足だったが、監督である榊太郎にも
同じ話をしておかなければならないことを思い出し、音楽室に行くことにした。



観月はじめは男子寮のロビーの掃除を終えてから女子寮のロビーの掃除をしていた。観月はきれい好きであり、掃除も好きだ。

「観月……? 寮母さんは?」

「庭で野菜を作っていますよ」

「……収穫できれば」

「またパソコンの前で爆睡して今頃になって起きましたね。大瀧さん!!」

アーモンド色の髪に寝癖が付いた状態で、着替えてはいるがまだ眠たそうなのは大瀧歌織だ。
今日は男子テニス部も女子テニス部も部活がない。観月は管理人に頼まれて男子寮の掃除をしていたが、女子寮のロビーの
掃除も頼まれていた。

「曲が完成して調整して動画にしたら時間が経ってたの。……アンタ以外に誰も居ないの?」

「ほぼ全員が出かけてますよ。茜崎さんは教会だし、撫子は今日はお婆さんの家に泊まると」

入寮者の予定は把握されている。自主的に伝えておくのだ。自由というのは自己責任である。

「……今日は入寮者が来なかった?」

「荷物は届いて、寮母さんが部屋に運び入れていましたが本人はまだですね。彼女、遅れると連絡があったそうです」

観月が歌織に様子を伝える。体をほぐすために体操でもしようとしていた歌織と掃除の手を止めた観月に声がかかる。

「観月君、掃除、ご苦労様。歌織はおはよう」

「聖良、おはよう」

「着替え終わったんですね」

「寝てたんだ」

「教会ですよ。貴方じゃあるまいし」

聖ルドルフ学院女子テニス部部長である茜崎聖良が春物のワンピースに着替えていた。前に観月と会ったときは僧衣を着ていた。
聖良は寮の中では数少ないクリスチャンだ。教会にもよく行っている。

「お昼ご飯は夕べのカレーの残りがあるわよね」

「……面倒くさがらないでください。……失礼、大瀧さんは料理が下手すぎましたね」

歌織は料理下手すぎる。料理ではなく、ゴミを作るのだ。

「午後はゆっくり過ごすつもりだったけど、ゲームとかする? 掃除、終わらせてからになるけど」

「ゲームですか。僕はしても良いですが、何をするんです?」

「知り合いからピーターパンをモチーフにしたゲームを貰ったわよ。乙女ゲーで」

「内容に寄るんですが前にやらされたくどい系のゲームだと遠慮します」

新しいメンバーが来ると言うが、その時になれば迎えればいいと彼等はいつも通りに過ごすことにした。



森村撫子は河川敷のコートで左手にラケットを持ち、テニスの試合を行っていた。
スマッシュを相手方のテニスコートに叩きつける。

「私の勝ちだね」

「杏ちゃんも森村もお疲れさん!!」

「撫子、試合をしてくれてありがとう。何処かへ行くつもりだったみたいだけど」

河川敷のテニスコートには老人達がテニスをしていたりしていた。三面あるテニスコートのあるうち一つを
撫子と橘杏、神尾アキラが使っている。

「母方の祖母の家に行こうとしたのだがね……。迎えが来るまで待とうと」

「……迷っていたってことでいいの?」

「そうとも言う」

「お前、方向音痴過ぎるよな」

母方の祖母の家に泊まりに行く約束を忘れていて、今日の朝に気がついて一泊分の荷物を詰めたボストンバッグと、
テニスバッグを持って祖母の家に向かったが、迷ってしまった。撫子は方向音痴であり、慣れないと目的地に
辿り着きづらい。迷っていると杏と神尾と出会い、河川敷でテニスをした。
神尾が杏が自分を誘っているのを見て残念そうにしていたが、どうも、神尾への杏の思いは通じていないらしい。
この二人と出会ったのも母方の祖母の家に行くときであり、別のテニスコートで出会った。
杏と神尾は不動峰中に通っている。
置いてある鞄から携帯電話を出すといくつかコールが入っている。祖母の家からだ。

「連絡が入っている。良し」

「道を憶えようぜ」

自分で連絡を入れようとはしたが、連絡を待つことにした。電話をかけると、伯母が出たので、用事を伝える。
伯母で言う、義母さんが……撫子の祖母が待ち合わせ場所に迎えに来てくれると言っていた。
置いてあるテニスバッグにテニスラケットをしまう。

「撫子のお婆ちゃんって?」

「青学でテニス部の顧問をしているよ。迎えに来てくれるらしい。今から向かう」

「テニス、青学の方が強いだろうに入らなかったのか?」

「ルドルフは寮があったからね。これでも、実家はあるんだよ……。両親が海外に居てばかりで空き家みたくなっているが」

撫子の通っている聖ルドルフ学院よりも青春学園の方がテニスも強いし、祖母もいる。それなのにルドルフに通ったのは、
寮があったからだ。実家はマンションの一室ではあるが、撫子の父も母も海外にばかりいる。
前に父親は日本勤務になるはずだったのに海外にいる方が多い。
祖母の家に居候をすることも考えたが、父親の仕事も不安定だし母親もそうであるため、寮暮らしにした。

「中学生の一人暮らしみたいなのは不安だものね。一泊するみたいだけど……」

「うん。従妹とも出かけるんだ。今度、遊びに来るときは連絡を入れるよ。神尾君と今度試合したいな」

「試合をするとしたら負けねえぜ。ゲームもな」

「Cheers,mates」

イギリス英語でさようならの意味の言葉を言うと撫子はテニスバッグを背負い、ボストンバッグを持ち、杏と神尾と別れた。
方向音痴のため目的地に着くことが難しい撫子ではあるがお陰で良い出会いを持てている。杏や神尾もそうだ。
不動峰中についても聞いている。彼等は杏の兄である橘桔平と共に全国大会を目指しているのだ。
観月が調べていたのを撫子も見ているが、この辺りだと柿の木中と青学が強いらしい。
毎年、青学と柿の木中が都大会に進んでいるようだが、今年は違ったことになりそうだ。

「撫子、元気そうじゃないか」

「お婆ちゃん、私は元気だよ」

待ち合わせ場所に辿り着くと、そこに居たのは撫子の祖母である竜崎スミレだ。撫子の母親がスミレの娘である。

「また迷ってたみたいだね……。桜乃ちゃんもそうだけど、方向音痴なんだから」

「サクちゃんと一緒に歩くと私は迷わないのだがね……」

竜崎桜乃は撫子の従妹だ。一つ年下である。桜乃も方向音痴であり、撫子は方向音痴の者と共にいると方向音痴が治るという
謎の特性があった。

「明日、桜乃ちゃんと買い物に行くんだろう? テニス用品を一緒に選んでくれ」

「……テニス、始めるのかい?」

「お前も知ってるだろう。越前リョーマ、影響されたらしくてね。二人とも青学だよ」

「彼、日本に来ていたのか……南次郎さんたちもいるんだね」

祖母の案内で家へと向かう。
越前リョーマは撫子の知り合いだ。撫子も両親に連れられてアメリカに行ったときにリョーマと出会っている。
彼の父親である南次郎はサムライ南次郎の異名を持つテニスプレイヤーだった。スミレの教え子でもある。

「越前リョーマ、アメリカのジュニア大会四連続優勝、やるもんだ」

「……彼はそれぐらいは出来る……。機会があれば挨拶したいところだ」

自分から行かないのは場所を知らないのと、リョーマに勝負を挑まれるかも知れないと言うことだ。
南次郎との約束で、リョーマがある状態にならない限りは撫子は試合をしない。越前家と言えば数年前に出会ったきりの
あの男のことも浮かんだ。彼は撫子の両親には連絡は入れているが、このところずっとアメリカや世界を巡っている。
スミレは撫子にリョーマが大会に参加するはずだったが、桜乃の案内が間違っていて大会に出られなかったことや、
その後で絡んできた男をテニスで倒したというのを聞いた。
最後にあったのが去年の夏ではあったのだが、変わっていないらしい。

「良い出会いが起きたようだね」

「何日かはゆっくりすると良い。ケーキ作りもしようじゃないか」

「お婆ちゃんとケーキ作りだなんて久しぶりだな」

竜崎家の前に着き、スミレがドアを開ける。ただいま、とおじゃまします、の声が玄関先に響いた。

「お姉ちゃん、久しぶり!」

「久しぶりだね。サクちゃん、テニスを始めると聴いたよ」

「上手くなれるかな?」

「まずは始めることだ。明日は道具を買いに行こう。ラケットとかね」

桜乃が撫子に抱きついてくる。撫子は桜乃を右手で受け止めた。従姉妹通しではあるが互いに一人っ子であるため、
撫子も桜乃もお互いの妹や姉のように想っていた。桜乃に撫子は微笑む。一日外泊すると寮には言っておいたが、
何日か延ばすのも良いかもしれない。撫子はそう考えながら家に上がることにした。



夕方頃になり、千歳真鶴は一年間、住むことになる聖ルドルフ学院女子寮に着いた。
新幹線で東京に来てから、真っ直ぐ目的地に向かうつもりだったのにあちこちに目移りしていたら時間が遅れた。
ルドルフ学院がある駅に来て、寮を目指そうとしたら、寮を知っている者達と出会い、案内をして貰った。

「熊本出身なんだな。千歳って」

「真鶴で良いわ。名字で呼ばれるのは慣れていないのよ」

彼は赤澤吉朗、聖ルドルフ学院の男子テニス部の部長らしい。生え抜き組という元からルドルフに居た生徒のようだ。
真鶴は同じ年の従兄が居たので、見分けのために真鶴と呼ばれていたため、真鶴と呼ばれた方が慣れている。
女子寮は真新しい建物だった。

「来たぞー、昨日、言ってた奴、連れてきた」

赤澤が慣れた様子で入った。何故慣れているのかしら? と真鶴は想ったが続けてはいる。

「いらっしゃい。赤澤君、そちらが、千歳真鶴さん?」

「始めまして、千歳真鶴です」

「私はここの寮母。貴方の部屋はこれから案内するから」

スリッパを履いて真鶴と赤澤を迎えたのは、身長が百六十センチよりは少し低いぐらいの黒の長髪の寮母だ。
外見は二十代前半ぐらいに見える。赤いチェックのエプロンを着けていた。

「新しい方が来たんですか?」

「……こんにちは」

「こっちに来てよ。赤澤も来ていたんだ」

自分と同年代ぐらいの少女の声が二人と少年の声がした。靴を入れる場所を寮母に教えて貰い、真鶴は靴をしまうと
ロビーを見た。ロビーには大きなテレビがあり、テレビ画面にはゲーム画面が映っていた。

(……恋愛、シミュレーション……?)

真鶴は余りゲームに詳しくはない。
コントロールをしているのは少年だ。コントローラーかと想えばゲーム機で、ゲーム機にはケーブルが繋がっていて、
ケーブルが機械に介されている。

「彼女は千歳真鶴さん、紹介すると、彼がテニス部のマネージャーの観月はじめ君で、こっちが女子テニス部の部長、
茜崎聖良ちゃん、この子は副部長の大瀧歌織ちゃん」

「案内するついでだよ。トキに逢ってな。本が入った紙袋を渡された。アイツは疲れたって寮に帰っちまったが」

「僕もこのゲームが区切りが良いところまで行ったら帰るつもりだったんですが……まずキリの良いところに行かない。
無駄に長いんですよね。ヒロインが個性的すぎるというか毎度のノリです」

トキというのは村神時人のことだろう。駅であった片方だ。顔色が悪そうだった。寮母にメンバーを紹介される。

「セーブしてお開きにしよう」

「……これ、精神勝負ですよ」

観月が操作をしてセーブをかけていた。恋愛シミュレーションゲームが精神が居るものとは真鶴は知らなかった。

「毎度だね……千歳さん? よろしく。練習は明日から何だけど、全員が揃うのはまだ先かな」

「真鶴で良いわ」

獅子楽中で騒動を起こしてから、環境を変えてみようと言うこともあり、真鶴はルドルフを選んだ。
従兄の千歳も今頃は寮生活を頑張ろうとしているので自分も頑張ろうと真鶴は想う。
――その従兄は、初日から部屋の壁をぶち壊され、呆然としていることなど、彼女は知らなかったが。
寮生活は楽しくなりそうだった。


【Fin】

伏線ばかりの話ですが、おいおい解ける奴は解けていくんじゃないかと、新キャラとかばっかですが。次回はディオ番外で。

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