忍足侑士と幽霊との契約

       
忍足侑士は氷帝学園二年生であり、男子テニス部に所属している。氷帝の男子テニス部は全国区の強さがあると
有名だ。朝、忍足は氷帝学園へ行くために晴れた空の下で電車を待っていた。

「朝練、遅刻せんように……」

通勤ラッシュも重なっているためか、駅のホーム内には人ばかりだ。スーツを着込んだ男や都内の学校の学生達、
電車はまだ来ない。
日本の電車は遅れないと聞いたことがあるが、時間通りに来るのはいいことだと忍足は思う。
そろそろ電車が来そうだと忍足は携帯電話の時間を確認した。
ホームの前に、居た。

「え?」

背中を押される。
体が前に行くと忍足の体はホームから線路へと落ちた。電車が来る音が聞こえる。忍足は起き上がろうとしたが、
起き上がれない。分かったのは自分が転落したことだ。
背中のテニスバッグの重みがまだ自分が生きていることを実感させてくれるが、
自分を轢き殺す音が近付いてくる。

(死ぬ――)

耳が音を拾い、体が動くよりも先に、忍足の意識は沈んだ。



白い場所に居た。
足下はあるが、何処もかしこも白く、床らしい場所も忍足が床と認識しているだけで本当はそうではなさそうだと考える。

「あの世か……?」

忍足はとりあえず、歩いてみることにした。
ここで立っていても仕方がないからだ。目の前を踏みしめるように歩いていく。出口も目的地も分からないが、
歩いてみれば状況が変わるかも知れなかった。歩き続けていると、忍足の目に白以外の何かが見えた。
白い木製のベンチと、そこに座り、読書をしている一人の青年。
彼の前まで、忍足は歩いた。目の前に来てから、忍足は彼に話しかけようとする。

「Hello」

「……Hello」

「How was it assumed that I came to such a plece?」

英語で話しかけられる。忍足は英語の成績は良い方だし英語が使われている外国にも何度か行ったことがあるが、
彼の英語は流暢だ。同級生の跡部景吾が使う英語と似ている。
聞き取れる単語を推測して、こんなところにどうして来たのかと聞いているようだった。

「どうして来たかとか聞かれても、オレ、電車にひかれかけて……」

「つまり、死にかけた。もしくは死んだと言うことですね」

「――日本語話せるんかい!!」

日本語で言ったら彼は日本語で返された。忍足は想わず叫ぶ。
改めて、ベンチに座っている青年を忍足は観察した。二十代ほどに見える、黒髪のショートカットに紫色の瞳、
着ている服装は神父が着ているような服装だ。

「世界の主要言語からマイナー言語まで読み書きから会話までこなせます。君は、どうしてこんなところに」

「それはこっちが聞きたいわ。ここ、何処や」

忍足が聞くと青年は読んでいた本を閉じる。本は黒くて分厚い。

「あの世とこの世の境目とでも言いましょうか」

「俺は死んだんか……」

「死にたくありませんでしたか?」

「当たり前やろ!!」

忍足は叫ぶ。今の自分は背中にテニスバッグを背負い、氷帝学園中等部の制服を着た状態だ。
葬式で着させられるような白い着物ではないし、まだ足もある。彼は白い空を見上げた。

「いきたいですか」

「生きたいか、逝きたいかどっちや」

「お好きな方で」

彼は微笑む。
どちらでも、良いのだろう。忍足が生きようが死のうが、彼はどちらでも、その選択を実行してくれそうだった。
届くように忍足は言葉を選ぶ。

「生存したい」

「それならば、僕と魂の半分を共有しましょう」

「……共有?」

「君、魂が傷ついているんですよ。端的に言いますとこのまま蘇っても寝たきりです」

彼はベンチから立ち上がると軽く忍足に触れる。触れられた途端に忍足の腕や額から血が流れ出した。
痛みが来る。体が切れていた。

「痛……」

「共有すれば生き延びられます。おまけとして僕が君を助けましょう。――誰かがここに来るのは久しぶりですから」

青年の手が忍足の胸元に伸びる。彼の右手が忍足に突き刺さった。
心臓が鷲掴みにされるような感覚が忍足を襲う。
忍足の意識が、また途切れた。



目が開くと知らない天井が写り、駅員らしい人物が自分が気がついたことを喜んだ。

「怪我はないようだね。ホームから落ちて、間一髪のところで助けてくれた人が居たんだが」

駅員の男の話を忍足は聞く。
線路の上に落ちた忍足だったが、電車が来る直前で誰かが忍足をホームに引っ張り上げてくれたらしい。
電車は無事に止まり、忍足は気絶した状態で、忍足を助けた救助者は駅員に忍足を任せると
消えたらしい。
親御さんが来るからと駅員が言う。忍足の持ち物から身元を判別したようだ。
居る部屋は医務室であり、自分はそこに寝かされていた。

「おおきに」

体力の消耗が激しい。誰かが背中を押したことを忍足は話そうとしたが、まだ眠い。

『無理はしないで下さい。共有はしていますがまだ本調子にはなれません』

「……え?」

「どうしたんだい?」

聞こえた声に忍足は反応し、駅員が忍足の反応を疑問に思うが忍足は誤魔化す。疲れたと言った。
駅員が用事があったのか部屋から出る。部屋には忍足だけが残された。

「お前、どこから話とる」

『君が先ほどまでいた場所からです。魂の半分を共有したため、君と視覚などが共有できています。
本来の君の魂は魂の欠損に近い状態ですのでこの状態はデフォルトと想って下さい』

「俺を助けたんは、お前か」

『危なかったんですよ。久しぶりに現世に出て君を担いで上に上がって周囲を誤魔化して、代償は君の体力です』

「おい。……命が助かっただけでも、ええか」

助かったことは事実であり、助けたのは彼であるようだ。

『犯人、どうしますか』

「殺されかかったっつーても、……実感が沸かんな。怨みとか買った覚えは無いし」

『最近では適当に殺したいから殺したみたいなのがいるらしいですけど』

「怖!?……聞きそびれとったが、お前、名前は?」

自分の命の恩人とも取れる彼だが忍足は彼の名を知らない。彼は黙る。
答えを考えているようだった。

『レームレとでも呼んでください。君の名前は』

「忍足侑士や」

『ユーシ。ですね』

声しか聞こえないが彼が笑ったことを忍足は感じ取る。忍足は寝転がりながら今更、眼鏡が外れていたことに気がつく。
――伊達眼鏡やしな。
忍足の視力は両目とも2.0だが、眼鏡は自分にとってはトレードマークであるため、
すぐに忍足はメガネをかけることにした。親を待たないことには動けない。
単独行動をすると周囲が騒がしくなる。面倒は避けるに限った。
幽霊つきになってしまったが忍足の心は落ち着いていた。

「人間万事塞翁が馬……やな。よろしゅう頼むわ。レームレ」

運がいいことも悪いことも次に繋がるがその次が幸運なのか不運なのかは分からない。
忍足は自分が好んでいる言葉を口にする。

『君は妙な人だ』

「何かお前に言われるとむかつくな……」

笑いながら言う彼に忍足は声を低くして告げた。
こうして忍足侑士は彼と魂の半分を共有し、日々を過ごしていくこととなるのだが、
レームレは幽霊のことをさしていると知ったり、騒動に巻き込まれたりするのは別の話である。


【Fin】

はじまりのはなし