忍足侑士と幽霊とのティータイム
忍足侑士には幽霊が憑いていて、幽霊と忍足は魂の半分を共有している。
交通事故にあったせいで、忍足の魂は傷つき、それを支えるために幽霊が力を貸しているのだ。
このまま放置しておくと緩やかに忍足は死んでしまっていたらしい。忍足は今も生きながらえている。
幽霊が憑いた忍足の生活は劇的にとまでにはいかないが変わった。
「跡部が居らん」
生徒会室で、忍足は榊太郎から預かったプリントを右手に持ちながら、無人の部屋を見回す。
置いてあるテーブルも高級そうだ。幽霊ならば値段を言ってくれそうだが、聞かない。
アンティークの家具やら高級そうな白いソファーやらが置いてある部屋は生徒会長である跡部景吾が家具を運び込み、
自分の部屋のようにしていた。広さはクラスの教室を一つと半分使っているぐらいだ。
『昼休みはまだ開いていますから、待ってみては』
「そうするか」
幽霊の声は忍足にしか聞こえないため、相づちを打っても、忍足が独り言を言っているようにしか聞こえない。
誰も居ないので声を出しているだけだ。高級そうな椅子に忍足は座ろうとしたが、本棚の方に注目した。
分厚い本が何冊も入っている。
『全集ばかりですね』
「暇やから読んだる。どれがええ」
『カミュが揃ってますか。ベタに異邦人で良いです』
「ベタなんか。異邦人言うたら俺は歌しか浮かばん。久保田早紀や」
異邦人と日本語で書かれていたので忍足は本を手に取り、席に戻り読み出す。幽霊はたまに忍足に助言をくれるが、
交換条件が忍足が本を読むことであった。忍足の視界から幽霊はこの世界を眺めている。幽霊がいる空間は別空間だ。
文章をまずは読んでみる。
”きょう、ママンが死んだ。もしかすると、昨日かも知れないが、私には分からない。養老院から電話を貰った。
「ハハウエノシヲイタム、マイソウアス。」これでは何も分からない。恐らく昨日だったのだろう。
養老院はアルジェから八十キロの、マランゴにある。二時のバスに乗れば、午後のうちに着くだろう。
そうすれば、お通夜をして、明くる日の夕方帰って来られる。”
と最初はもの悲しい始まりをしていた。
「跡部、居ないのかよ」
「本、好きだよな。侑士」
「眠い。寝たい」
次のページを捲ろうとしていたら、宍戸亮、向日岳人、芥川慈郎が生徒会室に来る。宍戸は跡部に用事があるようだ。
向日に言われているが、忍足は本好きと思われている。恋愛小説を読むこともあるが、幽霊が暇潰しに本を読ませろと
文学から適当な宗教本まで読むことになったのだ。
(電話の意味が分からんってどんな主人公や。カタカナを漢字に変換できんような奴か)
『僕の好きな本の上位に入るんですけどね』
(最後まで読んでみるか。どうにかこれならいけるな)
忍足が幽霊が読みたい本を読んでいるときは洋書の場合は眺めているだけであるが日本語ならば読むようにしている。
いけると判断した忍足の基準は薄さであったが。忍足は主人公の人格面に不安を感じた。
「お前が生徒会室で読書とか珍しいじゃねえか」
「単に榊監督から預かったプリントを届けに来ただけや。そしたら、居るはずの跡部が居らんから。お前等は」
「俺は栗原に用事だよ。ジローと岳人は着いてきただけ。教室にも居なかったから生徒会室じゃないかって」
栗原綿雪は生徒会副会長だ。宍戸のクラスメイトでもある。忍足は読んだページが分かりやすいように金属製の栞を挟む。
持ち歩くようになってしまっていた。
「跡部も生徒会長、続けてやってるよな。ドクサイセーケンって奴か」
『独裁でも民主でも良い采配をすれば良いのですが、今の生徒会は王制に近いでしょうか』
「俺等にエエ判断してくれるから、跡部が生徒会長ってのも悪くはないやろ」
氷帝学園中等部男子テニス部部長である跡部は生徒会長でもある。一年生の二学期の時に自らが立候補し生徒会長に
収まった。生徒会が各委員会が決めたり提出したことを纏めていくのだが、跡部の権限は非常に強い。
「眠たい」
「ジロー、お前はいつも眠そうだろ。目を覚ますためにコーヒーとか飲めよ」
「紅茶しかねえぜ。ティーパックはないのか。侑士、お前、紅茶とか入れられないのか」
(レームレ、紅茶を入れられるか)
『僕は紅茶嫌いで珈琲派ですが、入れろと言うなら方法は教えられます。異邦人と残り、一冊をもういs読んでくださいね』
「入れられるで」
ジローが欠伸をしている。紅茶を飲むことに話が行っているのは向日が喉が渇いたりしていたからだろう。
生徒会室には簡易のキッチンがあった。向日が勝手に棚を開けているが紅茶缶しかない。
ティーポットと一つティーカップを四つ、キープした。電気ケトルがあったので小型冷蔵庫を開けてから、
五百ミリペットボトルのミネラルウォーターがあったので、電気ケトルに入れるだけ入れた。
まずお湯を沸かす。
『紅茶缶。それで』
忍足が指示通りに紅茶缶を取る。お湯が直ぐに沸いた。
「跡部のお茶は樺地が入れてるんだぜ」
「樺地見たく美味く入れられるか分からんが」
『まずはお湯でカップを温めてください。暖めたお湯は捨てる。お湯が足りない気がしたら追加で沸かす』
指示が来たので忍足はティーソーサーの上に乗せたティーカップにお湯を入れた。四人分作る。お湯は足りていた。
次の指示が来たので忍足はティーポットの中にティースプーンで紅茶葉をすくって、中に入れていく。
(お湯か)
『勢いよく注ぎ、すぐに蓋。そこのティーコジーで蒸らして、砂時計をひっくり返して時間を計る』
「紅茶なんてペットボトルのとかぐらいしか飲まないからな」
「飲んでると外国人みたいなのあるし」
「眠いから、寝てるね」
口々に言うが、宍戸の言い分はまだしも、向日の飲んでいたら外国人というのは妙ではある。
「菓子とかないかな。冷蔵庫のチョコレートとか出すか」
冷蔵庫を物色したらチョコレートの箱とマカロンの箱があったため、食べたくなったが、幽霊が忠告した。
『そのチョコレートはゴディバですね』
(マカロンは)
『ピエール・エルメのマカロンです。高いですよ。僕は知ってるぐらいです』
(このブルジョワ……)
ゴディバなら忍足も知っている。小さいチョコレートだがスーパーで売っている板チョコよりも高いのだ。
居ない跡部に心中で毒づく。忍足の家も父親が病院に勤めているため金はある方だが、跡部の方は世界有数の財閥、
跡部財閥なのだ。ピエール・エルメは巴里や東京に店を出しているパティシエのブランドだ。
たまに跡部は差し入れとして様々な菓子を持ってくるがどれもブランドものである。
「侑士、生徒会室に食うもんないのか」
「高そうなチョコレートとマカロンならあった」
「食っちまっても跡部なら許してくれそうだぜ」
『ユーシ、紅茶、もう入れ頃です。均一に最後の一滴まで注いでください』
向日が食べたかっているので、跡部に責められたら向日のせいにしてしまおうと忍足は想う。
紅茶を先に入れてしまおうと忍足は幽霊の指示通りに紅茶を入れる。ティーカップの上に茶こしを置いて、
茶こしを動かしながら、均等に入れて最後の一滴も入れた。
(勿体ない精神か)
『……ベスト・ドロップという紅茶のうま味が濃縮された一滴です』
「入れられたから、運ぶの手伝えや。俺は菓子、持って来る」
宍戸や向日に声をかけ、忍足は冷蔵庫からマカロンの箱とチョコレートの箱を出す。
向日と宍戸が動いてティーソーサーの上に乗ったティーカップを四つテーブルの上に置いた。昼食は終わってるのに
飲み食いが出来るのはこれがデザートということになるからだろう。
「誰か居る気がしたら、お前等か。勝手に紅茶とか飲もうとしやがって」
「ウス」
「跡部と樺地、栗原もいるな。栗原、六時間目は自習になるから先生が皆を纏めて欲しいってよ」
「分かった。伝えてくれてありがとう。宍戸君」
忍足が箱をテーブルに置いたとき、跡部と一つ下の樺地宗弘、忍足達と同級生である栗原綿雪が来た。綿雪は
茶色の髪をウェーブにしている。宍戸から伝言を聞いていた。跡部が手をつけていないティーカップを
手に取ると紅茶を飲む。忍足の分の紅茶だ。
「なかなか美味く入れられてるじゃねえか。高級茶葉に見合った入れ方だ」
(高級……)
『あの中にあった一番高いのですよ』
「おおきに。栗原と樺地にも入れるで。俺も自分の分、入れ直すし。俺の菓子、取っといてや」
跡部に褒められたが、高級茶葉と聞いて忍足が表情を固めかける。値段は聞く気にもなれずにティーカップがまだ三つ、
あることを確かめて二人の分と自分の分も入れる。何度か練習をして幽霊の助言が無くても、紅茶は
入れられるようになっておくべきだ。
「カミュの異邦人。読んでたのは、忍足君?」
「久保田早紀の歌に同じタイトルあったからな」
栗原に聞かれ、忍足は答える。本に対する言い訳が出来てきているように感じた。それもコレも幽霊がディストピア系小説やら、
世界文学全集やら読むからではある。
「読書感想文で友達が借りて、挫折したのよ。薄いから選んだみたいだけど」
「薄さで選ぶとは、羅生門とか借りてきた方がマシじゃねえの」
「跡部は嫌いなの? いほーじん」
「読みはしたが、主人公に共感できる奴もある意味では異邦人になる。こういう人間が居るとは納得できてもな」
跡部はそう評価するが忍足はその理由が分かる気がした。紅茶を三人分入れて、先に樺地と綿雪に持って行く。
「その本、ちゃんと返すから借りてええか。生徒会室にも全集ってのは……」
「昔に理事長の知り合いが寄付たんだが、置き場所がここなんだよ」
生徒会室には何度も出入りしているが、全集の存在を知ったのは、幽霊のお陰だ。ティーカップを綿雪と樺地が
座っている席のテーブルの前に置くと二人が礼を言う。
自分で入れた紅茶を忍足は飲んでみた。
(自分で入れても美味い紅茶は入れられるんやな)
紅茶なんてティーパックでしか入れていない。高級茶葉と聞いたこともあるが、美味しい。
跡部の家に行ったときに美味しい紅茶は飲んだことがあるがこんな風にして入れるのかと憶えた。
「侑士は料理とかも上手いし、俺よりももてるんだぜ」
「関東の味付けは俺によって濃いんや。もてるかは……跡部の方がもてるやろ」
「ウス」
向日が言うが、自分に話題が振られるのを忍足は回避する。樺地が同意する。料理が得意なのは母親の手伝いをしたり、
関東の味付けが気に入らないため自分で作ったりしたら上手くなったのだ。関西の味付けは薄めで、関東は濃い。
跡部はもてる。他校からも跡部宛のラブレターやファンレターが来る。
『テニス部は女生徒に人気の部活じゃないですか。君もラブレターとか貰ったりするし』
(……お前はどうやったんや。レームレ。生前はもてとったんか)
『もてませんでしたよ。怯えられてました』
コイツは生前何をしていたのだろうと忍足は考えてしまう。忍足は幽霊についてを余り知らない。
彼は情報を出したがらないのだ。穏やかそうにしていて怯えられるような要因でもあるのか。
「もてようがもてなかろうか、部活に支障が出なければ良いんだ」
「テニス部のファンクラブとかは鉄の掟があるみたいだし」
「あるのかよ」
宍戸が綿雪の言葉に困っている。ファンクラブはあっても良いのだが、部活や生活に困ることがあるのはいけない。
「チョコもマカロンも美味C。忍足の紅茶も美味しいし部活を頑張れるかも」
「今日は寝るな。真面目にやれよ」
「お前の態度は他の部員にも影響が来るんだぜ」
「一日頑張れば良い。後は伸ばしていく」
「気長ね。跡部君」
「ウス。そうなって、しまったというか……」
初等部からの幼なじみ組が言い合い、生徒会のメンバーも話している。
跡部は紅茶を飲んでいて樺地もそうだ。綿雪はチョコレートを食べている。
忍足もマカロンとチョコレートを食べた。味わった。これが高級品かと舌に味を記憶する。
「俺も放課後、頑張れそうや。まずは異邦人を読み切らんとな」
異邦人の他にも一冊ほど本を借りて読み、幽霊に届けなければならない。忍足が決めたことだ。
忍足は本を引き寄せる。古びた本の匂いがした。
白い空間に忍足は居た。
幽霊がいる空間だ。行きたかったので六時間目に就寝した。忍足は寝たら百パーセントこの空間に行くわけではない。
行きたいと願い、行ける。
六時間目の数学がプリントであり、プリントを終わらせて幽霊に逢いに来たのだ。
「カミュは良いですね」
白い木製ベンチに座り、傍らに聖書を置いた青年は朗らかに言う。
「お前は、異邦人の主人公に共感しとるんか。ムルソーに」
黒い神父服を着た黒髪ショートカットに紫色の瞳をした幽霊に忍足は問うた。五時間目と休み時間を使い、
忍足は異邦人を読み終えた。話的に言えば一般と呼べる世界からずれてしまったムルソーの母親の死からその後に起きた
出来事で起きた裁判後までを書いていた。
興味で忍足は聞いた。
「――太陽のせいだ。は好きな台詞です」
感情のこもった声で幽霊は言う。太陽のせいだ、はムルソーが作中で言う台詞だ。
幽霊は異常なようで異常ではないような、曖昧なところはあるが、忍足の魂の半分を共有し、助けてくれているのは彼だ。
「残り一冊は俺が適当に選ぶで」
「構いません」
「帰りやけど、スタバにでも寄ろうや。お前の分の珈琲も買うし」
「僕は飲めませんよ」
「気分や」
スターバックスコーヒーにしたのはコーヒー屋で思い浮かんだからだ。日本にもコーヒーショップはいくつもある。
寄ろうやと誘っているが忍足の視界から幽霊は現世を眺めているため、忍足が誘う必要もないが誘ったのは気分だ。
彼は条件を満たさなければこの空間から出られないし、その条件は忍足にとっては非常にきつい。
幽霊が微笑した。
「ありがとう」
「お前も性格とか個人情報が分からん奴やな」
「話さないようにしてますから、意図的に」
秘密主義なところがある幽霊ではあるが、話すときは話してくれるし、忍足も相手の様子を確かめてから話す方だ。
二人の距離はほどよく、付き合いも上手くいっている。
「紅茶派やのうて、珈琲派分かっただけでもええか。紅茶嫌いな理由は」
「……僕が嫌いな人間が紅茶が好きだったので」
「味が嫌いってわけでは」
「無いですよ」
幽霊が嫌っていた人間というのは誰なのだろうか、そのことについて話すだけでも彼は嫌なようだ。
笑ってはいけないのだが、笑いそうになり忍足は堪えた。――何処か子供っぽく、見えてしまったのだ。
【Fin】
プリントはお茶おえてから渡しました。綿雪は別作品で名前だけは何処かで出したんですが氷帝学園中等部生徒会副会長です。
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